自分の内側に認めた光が、そのまま転写され、世界に光を認めることになる。
とても単純なことなのに、その単純さをどこまでも疑っていたんだなぁ。
世界に罪を擦り付け、それを裁くことで、いつまでも、救済から免れようとしてきた。
世界を嘆くことに氣を取られているふりをして、内側の光に触れないようにしてきた。
そうして遠ざけることで、「光」を避けることができると思い込んでいた。
でも、これまでのモヤモヤは「光」を遠ざけてるからだった。
不自然なことって疲れるのだ。
「光」を遮る事が出来る「闇」はない。
「光」の前で「闇」は消える。
それなのに、「闇」をでっち上げるなんて不可能。
「闇」を捻出するのに相当な疲弊を伴っているのだから、それをやめればいいのだ。
今日は「光」をそのまま受け入れる覚悟をします。
なにもかもが「光」だったと受け入れます。
「光」のシャワーに溶け込みます。
・・・・・
ワークブック
レッスン188
神の平安は今、私の中に輝いている。
・・・・・
なぜ天国を待ったりするのだろう。
光を探し求める者は、単に目を覆っているにすぎない。
その光は今、彼らの中にある。
悟りとは認識にほかならず、変化のことなどではない。
光はこの世のものではなく、自らの内に光を抱くあなたも、ここでは異邦人である。
その光は、あなたの生家からあなたとともにやってきたものであり、
あなたのものだからこそ、あなたとともにとどまっている。
それだけが源なる神からあなたが携えてきたものである。
それはあなたの家を照らすのであなたの中に輝き、それが生まれたところ、あなたがくつろげるわが家へと、あなたを連れ帰る。
(1:1-8)
この光は決して失われることがない。
なぜそれを未来に見出そうとして待つのだろう。
それがすでになくなっていまったとか、一度も存在しなかったといったことを、なぜ信じるのだろう。
それが存在しないと証明しほうとする議論がばかげて見えるほど、それは簡単に見ることができる。
自分の中に見えるものの現在を、誰が否定できるだろう。
内側を見ることはに難しくはない。
すべての視覚は内側で始まるからである。
夢に属するものであれ、より真実なる源から訪れるものであれ、見えるものはすべて、内なる視覚で見られたものの影である。
知覚は内なる視覚から始まり、内なる視覚で終わる。
それ以外に知覚の源はない。
(2:1~8)
神の平安は、今あなたの中で輝き、あなたの胸から世界中へと延長される。
それは生命あるものに出会うたびに立ち止まって抱擁し、そこに永遠にとどまる祝福を残す。
それが与えるものは、必ず永遠なるものである。
(3:1~3)
あなたの心の中に輝くものが、世界が忘れていたものを世界に思い出させ、世界はまたその記憶をあなたに呼び戻す。
与えられて与え返される大いなる贈り物となって、救済はあなたから輝きわたる。
贈り物の与え手であるあなたに、神ご自身が感謝する。
そうしてあなたの中で輝く光は、神の祝福に包まれさらに明るくなり、あなたが世界に与えるべき贈り物は増大する。
(4:1~4)
神の平安を封じ込めることはできない。
それを自らの内に認識する者は、与えずにはいられない。
そして、それを与える手段は、彼の理解の中にある。
彼は自分の中の真理を認識したからこそ赦すのである。
神の平安は、今あなたの中に、そして生きとし生けるものの中に輝く。
静けさの中で、それはあらゆるところに認められる。
あなたの内なる視覚が眺めるものが、すなわちあなたの宇宙についての知覚だからである。
(5:1~7)
静かに座り、目を閉じなさい。
あなたの内にある光で充分である。
その光だけで、あなたに視覚の贈り物を与える力がある。
外の世界を退けて、あなたの想念が内なる平安に向かって飛び立つにまかせなさい。
あなたの想念はその道を知っている。
あなたの外に世俗の夢に穢されていない正直な想念が、神ご自身の神聖なる使者となる。
(6:1~6)
こうした想念を、あなたは神とともに思考している。
それらの想念は自分の家を認識する。
それらは確実に、父なる神と神の子がひとつである場所、自らの源を指し示す。
(7:1~3)
今日は私たちの内なる光にさらに近づく練習をする。
自分たちの散漫な想念を取り上げ、神と共有されているすべての想念と調和する場所へとそれらを優しく連れ帰る。
迷ったままにはしておかない。
私たちの心の中の光に、そうした想念を家へ帰らせるように導いてもらう。
私たちはそれらを見捨てて、自分から離れるように命じてきた。
けれども今、それらを呼び戻し、奇妙な願望や混乱した望みをきれいに洗い流す。
それらが継承している聖性が、そこに取り戻される。
(9:1~7)
私たちは、世界が自分に為したと思っていたことについて全世界を放免し、一切を赦す。
私たちこそ、自分が望む通りに世界を作り出す当事者だからである。
私たちは今、世界が無垢であり、罪がなく、救済に向かって開かれたものとなることを選択する。
そして次のように言いながら、私たちの救済の祝福を世界に与える。
神の平安は今、私の中に輝いている。
その平安の中で、すべてが私を照らしますように。
私が自分の内なる光により一切を祝福できますように。
(10:2~7)