神の子以外の者のして見るなら、心配や不完全な感覚からは免れられない。
自分や周りに心配や不完全さを見る時は、神の子であることを忘れ去っている。
そういうときは、ただ黙って、ただ静かに、聖霊と共に、イエスと共に、心配や不完全さに伴っている感覚を露わにして、それが通り過ぎていくのを見る。
自分のことも、誰のことも、罪悪の目を通して見ているときは、間違っている。
「わからなさ」という自由と解放にいることができますように。
これを意図します。
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ワークブック
レッスン203
復習
1.(183) 私は神の名と私自身の名に呼びかける。
神の名が、あらゆる悪と罪の想念から私を解放する。
それは神の名であると同時に私の名でもあるからである。
(1:2)
私は肉体ではない。
私は自由である。
私は今も神が創造したままの私なのだから。
(3.4.5)
レッスン183の復習
レッスン183
神の名を繰り返し、神と同じ名をもつあなたの真の自己に呼びかけなさい。
神の名を繰り返せば、地上の小さく名もなきものすべてが、正しい視座におさまる。
神の名に呼びかける者は、名もなきものを神の名と取り違えることも、罪と恩寵と、肉体を聖なる神の子と取り違えることもない。
兄弟の傍らに黙して座り、静かな心の中で彼とともに神の名を繰り返し、彼とともに彼と合一するなら、あなたはそこに、神ご自身と神の子に至る祭壇を建てたのである。