「肉体」ではない、という意味は、肉体を基準にし、肉体の都合を通して考えない、ということなのだ。
今、もちろん、目に映るのは「肉体」で、それが見えているのがおかしいとかいうことではない。
ただ見えている「肉体」を基準にした考えは必要ないのでやめていいということ。
「肉体」を基準にしないということは、「肉体」における問題がなくなるということになるから、そうなると、問題はなくなることになる。
問題はいつも「肉体」という「個々」から生じるのだから。
個々がなければ、何の問題も生じてはいない。
ひとつ・全体・全一、に問題は生じない。
この気づきがあったからといって「肉体」が消えるわけではない。
これまで通り、「肉体」はあるけど、ただそれを素通りして、真のリアルである「心」を見るようになる。
この気づきに到達しない間は、「肉体」と「心」の間で宙ぶらりん。
だけど、一度でもこの感覚に触れれば、真のリアルさに安堵する。
そして、どこまでも深淵な「心」に溶け込む。
この気づきは永遠に延長している。
それが私たちの本性。
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ワークブック
レッスン206
復習
1.(186)世界の救済は私にかかっている。
私は神の子なので、神の贈り物を預かっている。
だから私は神の子が意図するところに神の贈り物をもたらしたい。
私は肉体ではない。
私は自由である。
私は今も神が創造したままの私なのだから。
(1:1~6)