あなたが自分自身の想念以外の何かによって傷つけられることは不可能だと理解するとき、神に対する恐れは必ず消滅するからである。
(レッスン196 8:3)
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私の想念が世界を作り上げていました。
私の想念を通して世界を見ていました。
私の想念の全部を"聖霊"にゆだねます。
「私は何が何のためにあるのか知りません」
ゆだねて、明け渡したら、
目の前に広がるのは優しい光のコントラストでした。
それを愛ます。
何もかもが完璧にありました。
不機嫌な人も、
可燃物のゴミの日に出されている不燃物のゴミも、
腰痛も、
今日の天気も、
全ては完璧に機能していて、
全てがプロセスでした。
「何が何かわかりません」の真っ新さで、素直な感覚が上がってくるままにして、
それが、全て、純粋な空(くう)に溶けていくままにします。
そして、深い静寂へ。
何にもなさの喜びへ。
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ワークブック
レッスン215
復習
1.(196) 私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである。
自分のしていることのすべては自分自身に対して為されている。
私が攻撃すれば、私が苦しむ。
しかし私が赦せば、救済は私に与えられる。
(1-2.3.4)
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あなたが自分自身の想念以外の何かによって傷つけられることは不可能だと理解するとき、神に対する恐れは必ず消滅するからである。
(レッスン196 8:3)