この世界は、厳しく、険しく、深刻で、怖い場所で、
愛を欲しがったり、愛されなかったり、
蹴落としたり、追い越されたり、裏切ったり、傷つけられたり、
盗ったり、奪われたり、ひとりぼっちになったり・・・・・。
これらが、分離の思考が作り出す妄想だなんて、どうしたって信じられない。
それでも、信じられないままに、
その「分離の思考」をおそるおそる、無視してみる。
「わかりません」の気楽さに、「フッ」と落ちてみる。
この「フッ」の広さと深さがあがってくる、染みわたっていく。
「フッ」の軽さの方が大きくなったある日、
この深刻な世界が、本当になんでもないものだと感じられるように。
「葛藤の世界の散歩の夢」を見たに過ぎなかったのだと。
・・・・・
何もかもが「空」、「光」という「愛」で出来ている。
光のプリズムを、「分離の思考」は、いろんなものに解釈しただけだ。
あの時も、この時も、一瞬たりとも、「愛」「光」、
そして「空」から、離れたことはなかった。
目が開かれる。
心が開かれる。
慈愛の海の中へ。
・・・・・
ワークブック
レッスン225
神は私の父であり、子は父を愛する。
父よ、私を愛してくださるあなたを、私は愛さずにいられません。
与えることと受け取ることは同じであり、あなたはご自身の愛のすべてを私に与えてくださったからです。
私も同じく愛さずにはいられません。
私の心に輝くその愛を、自分のものとして、充分に自覚したいからです。
その優しい光の中にその愛を穢れなく愛しいものに保ち、恐れを後にし、ただ平安へと向かうことを願うからです。
あなたに愛される神の子があなたのものへと導かれる道は、何と静かなことでしょう!
兄弟よ、私たちは今その静けさを見出す。
道は開かれている。
今、私たちは一緒に平安のうちにその道をたどる。
あなたは私に向かって手を差し出した。
そして、私は決してあなたを見捨てはしない。
私たちはひとつである。
そして、本当は始まったことのない旅を終わらせる。
この最後の散歩を歩み終えようとするとき、私たちが求めるのはこの一体性である。
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