【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

苦しみという愛着(レッスン226)

子供の頃、父母が建てた新しい家を、複雑で理不尽な諸事情で、父の弟家族に譲らなければならなくなった。

 

そして私たち家族は、暴れる祖父のいる古い家に住むことになった。

 

学校から帰るとき、毎日、かって住んでいた新しい家を横目に、それよりもずっと遠くになった古い家に帰っていく。

 

家には不機嫌な母がいたし、いつ暴れるかわからない祖父がいた。

 

あのころの惨めで混乱していた感覚。

 

まさか、この感覚が、自分の自作自演だとは到底思えなかった。

 

この感覚が、「分離」を推し進めるために作られたものだったなんて。

 

だけど、この感覚を作っている「思考と感情」は、分離の信念の戯れ

 

この戯れに長いこと居座ると、それは執着になる。

 

というか、愛着になる。

 

苦しみが愛着になっている。

 

・・・

 

それをやめて、

 

自分の「思考」をいっさい持ち出さず、

 

「わからなさ」の中に。

 

「わからなさ」の現れに、ただ直面する。

 

「わからなさ」を甘受する。

 

・・・

 

この世界に意味をもたないことで、自由になる。

 

自由はどこまでも優しい。

 

何もつかまない。

 

何も裁かない。

 

全部が「愛」だと知っている。

 

「わからなさ」に抱かれる。

・・・・・

ワークブック

レッスン226

 

私の家が待っている。急いでわが家に帰ろう。

 

もし私がそう選ぶなら、この世界を完全に立ち去ることができる。

これを可能にするのは死ではなく、世界の目的について心を変えることである。

もし私が、今見ている通りに、世界を価値あるものと信じるなら、世界は私にとって価値あるものであり続ける。

しかし、もし世界を見ながら、その中に価値を見ず、自分のものにしておきたいものや、ゴールとして追求したいものを何一つ見なければ、世界が私から去っていく。

それは、私が真理に入れ替わる幻想を求めなかったからである。

 

父よ、私の家は、私が喜んで帰ってくるのを待っています。

あなたの腕は開かれており、あなたの御声が聞こえます。

天国がこのようにたやすく私のものになるというのに、虚しい願望や打ち砕かれた夢しかない場所に、どうして長居をする必要があるでしょう。

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