静けさがリアル。
この中に深く沈む。
湧き上がる敬意。
完璧さを讃える。
美しさを賛美する。
・・・
ワークブック
レッスン231
父よ、私はあなたを思い出すことだけを意志します。
父よ、あなたの愛のほかに何を、私が探すことなどできるでしょう。
私は、さまざまな名で呼んできた何か別なものを自分が探し求めていると思うことがあるかもしれません。
しかしあなたの愛だけが、唯一、私が探し求めるものであり、これまでも追い求めてきたものです。
私が本当に見つけたいと思うものは、それよりほかにはありえません。
あなたを思い出させてください。
自分自身についての真理のほかに、何を望むことができるでしょう。
兄弟よ、これがあなたの意志である。
そして、あなたはこの意志を私と共有し、私たちの父である一なる存在と共有する。
父を思い出すことが天国である。
これを、私たちは求める。
そしてこれだけが、私たちが見出すようにと与えられているものである。
(1・2)
2.救済とは何か
※抜粋
時間の中で生じたすべての想念もいずれは終わると、救済は保証する。
神の言葉は、自分が分離した想念を抱いていると考えるすべての心に与えられ、いずれ、そうした葛藤の想念を平安の想念に置き換える。
(1:3.4)
神の子の心が戦いを思いついたその瞬間に、平安の想念が彼に与えられた。
それ以前には、そうした想念の必要はなかった。
以前授けられていた平安には対極はなく、ただ在るのみだったからである。
しかし心が分裂しているときには、癒しが必要である。
だから、分裂を癒す力のある想念が、心の無数の断片の一部となった。
心は依然としてひとつであるのに、一体性を認識できなくなっている。
今や心は自らを知らず、自分のアイデンティティーは失われたと考えるようになっている。
(2:1~5)
救済とは取り消しである。
それは何もしないことにより、夢と悪意の世界が維持されずに消えていくという意味で、取り消しである。
そのようにして、救済は幻想を去らせる。
幻想を維持しないことで、それらがただ静かに塵と消えるままにする。
そうすれば幻想が隠していたものが露になる。
それは聖なる神の名に捧げられていた祭壇であり、そこには神の言葉が書き込まれている。
その前にはあなたの赦しの贈り物が供えられ、そのすぐうしろには神についての記憶が控えている。
(3:1~3)
私たちは毎日この神聖なる場所を訪れ、少しの間、ともに過ごそう。
ここで、私たちは最後の夢を共有する。
その夢の中に悲しみはない。
それは神から授けられた栄光のすべてを暗示する夢だからである。
今や草は地中に根をのばし、樹木は芽を吹き、小鳥たちがその枝に宿る。
新たな視座から見える大地は、今、生まれ変わりつつある。
夜は去り、光の中で、私たちはひとつに集結した。
(4:1~6)
この場所から私たちは世界に救済を与える。
ここで救済が受け入れられたからである。
私たちの歓喜の歌は全世界に呼びかける。
自由は戻っており、時間は間もなく終わる、と。
そして、神の子はあと一瞬待つだけで、父を思い出し、夢が終わり、永遠がその光で世界を消し去り、存在するのは天国だけになる、と。
(5:1~2)
・・・・・
「父」とは”一なるもの””全なるもの””光”という絶対性の比喩的表現。
すべてが全体の中の一部であり、
一部を自分と思い込むことが苦しみのはじまりであり、
一部は全体へと延長しているということを思い出すことで、
苦しみは消えていく。
一部というモノの中に埋没し、
個だけを握りしめることが、
苦しみと恐怖を終わらせない。
個であり続けることがそもそも苦しみと恐怖の顕われだから。
何とも離れていない。
それを思い出す。
静けさの中に、
そのつながりを見出す。