根拠なんて必要のない喜びを止めることなくそこはかとなく感じている。
喜びに理由はない。
喜びが根源なのだから。
これ以上、何も必要はない。
このご機嫌さのまんま、ただあるだけなのだ。
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ワークブック
レッスン235
私が救われることが、慈悲深い神の意志である。
私が為すべきことは、ただ、自分を傷つけるように思える物事を眺め、全き確信をもって、「私がこのことから救われることが、神の意志である」と言い、自分を安心させ、それらが消えてゆくのをじっと見ていることだけである。
幸せだけが私に訪れているとわかるためには、私に対する父の意志は幸福だけだと憶えておくだけでよい。
そして私が救われていて、神の腕の中で永遠に安全だと確信するには、神の愛が神の子を包み込み、彼の無罪性を永久に完璧なまま保っていると思い出しさえすればよい。
私は神に愛されている神の子である。
そして慈悲深い神の意志により、私は救われている。
父よ、あなたの聖性は私の聖性です。
あなたの愛が私を創造し、私の無罪性を永久にあなたの一部としました。
罪も罪悪感もあなたの中に存在しないのですから、私の中にもありません。
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