なぜか、人と関わると、何かしら、モヤモヤする。
たいていは、「私、どう思われたかな?」とか、無価値観、いう妄想などなど。
これが、自我という分離の夢の仕業でした。
自分と誰かを切り離し、
しかも、なんの力もないところを握りしめ、
そこに力を見ようとします。
この夢に入ろうとしてしまうときは、
「わからなさ」に戻ります。
何か問題らしきものを見つけたら、
まずは静けさに戻りたいです。
そして、
何より確かなのは、全てが含まれた、全体そのものだったことなのです。
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ワークブック
レッスン259
罪は存在しないということを、思い出せますように。
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神のゴールを達成不可能に見せているのは、
罪という概念だけである。
それ以外の何が、
明白なものを私たちから隠し、
奇妙でいびつなもののほうが明確であるかに見せることができるだろう。
罪以外の何が、
私たちに攻撃を引き起こすだろう。
罪以外の何が、
罰や苦しみを要求する罪悪感の源となりえるだろう。
そして、罪以外の何が、怖れの源となって、
神が創造したものを覆い隠し、愛に怖れと攻撃の属性を与えたりするだろう。
(1:1-5)
父よ、今日、
私は狂気にとどまりたくはありません。
愛を恐れたり、愛に対立するものの中に逃げ込んだりしたくありません。
愛に対極はありえないからです。
あなたは、実在する一切の源です。
そして、一切があなたとともにあり、
あなたは、一切とともにおられます。
(2:1-5)