何かを責める気もちは、そこに意味をもたせているから。
善悪や損得、好き嫌いなど・・・。
意味をもたせていることですら、それが良いとか悪いわけではなくて、
ただ、意味をもたせている間は、苦しい、ということ。
意味にふりまわされているということ。
意味に束縛されているということ。
意味のなさがジャッジのなさ。
意味のなさが自由。
意味のなさが慈愛。
意味のなさが愛。
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ワークブック
レッスン278
私が束縛されているなら、私の父も自由ではない。
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もし私が、生命あると思える一切のものが死んでいくかに見える世界で、自分は一個の肉体に閉じこめられた囚人だということを受け入れるなら、私の父もともに囚人だということになる。
そしてまた、もし、世界が従っている法則に自分も従わねばならず、自分が知覚している脆弱さや罪は実在し免れられないものだと主張するなら、私はそれを信じていることになる。
私がどのようにであれ束縛されているなら、私は自分の父も真の自己も知らないのである。
そうして私は実在のすべてを見失っている。
なぜなら、真理は自由であり、束縛されているものは真理の一部ではないからである。
父よ、私は真理だけを求めます。
私は自分について、あるいは自分が創造したものについて、多くの愚かな考えを抱いてきました。
また、恐れの夢を自分の心に持ち込んできました。
今日、私は夢を見たくありません。
私は狂気や恐れのかわりに、あなたへの道を選択します。
真理は安全であり、愛だけが確かなものだからです。
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