【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

空間に制限は存在しない(レッスン280)

自我の視点であれば、気になってしょうがなかった数々のこと。

 

愚痴が多かった親や、夫の飲酒や、片づけない弟・・・。

 

ズルい人、被害妄想な人、悩んでいる人・・・etc。

 

また、過去の自分、自分の思考、自分の肉体のあれこれ・・・etc.

 

・・・

 

そもそも、それを表出する空間側が私たち。

 

内側に現れるさざ波の音として聞いている側。

 

静かなる。

 

・・・

ワークブック

レッスン280

 

私が神の子に制限を課すことなどできるだろうか。

 

神により無限のものとして創造されたものは、自由である。

私が神の子に幽閉状態を作り出せても、それはただ幻想の中だけのことであり、真理においてではない。

神の想念は神の心から離れたことはない。

神の想念にはまったく制限がない。

神の想念はすべて永遠に清らかである。

神ご自身が神の子を無限とし、自由においても愛においても神ご自身と同じものとなることを意志しているというのに、私が神の子に制限を課すことなどできるだろうか。

 

今日、私があなたの子を讃えることができますように。

あなたの子を讃えることによってのみ、私はあなたへの道を見出すからです。

父よ、あなたに愛され、あなたに無限のものとして創造されたあなたの子に、私はどんな制限を課すこともしません。

私が彼に差し出す誠意はあなたのものであり、あなたのものは私のものでもあります。

・・・・・

 

奇跡のコース テキスト編 第5章 Ⅶ 5:1-5  6:1-11

 

あなたが完全に喜びに溢れていないときはいつでも、その理由は神の被造物たちのひとりに対して、愛が欠如した反応をしたからである。

これを「罪」と知覚するあなたは、攻撃されることを予期して防衛的になる。

このように反応するという決断はあなたが下したものであり、したがって、それは取り消し可能である。

それは普通の意味の悔い改めによって取り消すことはできない。

なぜなら、それは罪悪感を暗示しているからである。

罪悪感を感じることを自分に容認するなら、あなたは誤りを取り消してもらう代わりに、それを強化することになる。

 

決断は難しいものではあり得ない。

もしあなたが、自分が完全に喜びに満ちていないときはすでに、自分は喜ばないと決断したに違いないと気づくなら、決断が難しくないということは明白である。

したがって、取り消しのための最初の一歩は、自分は積極的に誤った決断をしたが、同じく積極的に別の決断ができると認識することである。

このことに関しては、自分自身に対して断固とした態度で臨みなさい。

そして、取り消しのプロセスを充分に自覚し続けていなさい

それはあなたから生じるわけではないが、それでも、それは神があなたの中に置いたものであるから、今もそこにある。

あなたの役割は単に、誤りが犯された地点まで自分の思考を戻し、それを平安のうちに贖罪に引き渡すことだけである

あなたからのごくわずかな招きに対してでも、聖霊は充分に応えてくれるということを思い出しながら、できる限り誠実に、自分自身に次のように言いなさい。

 

私は心安らかではないので、誤って決断したに違いない。

 

私は自分でこの決断をしたが、別の決断をすることもできる。

 

私は心安らかでいたいので、別な決断をしたい。

 

私は罪悪感を感じない。

 

聖霊に任せれば、私の間違った決断の結果はすべて取り消してもらえるからである。

 

私は、聖霊に私に代わって神を選ぶ決断をしてもらい、私の間違った決断の結果を取り消してもらうことを選択する。