愛の一部だと気づいたら、外の刺激がまやかしだと気づき手応えはなくなる。
偶像は偶像でしかなかった。
偶像を崇拝するとは、偶像を信じているということ。
掴まなくていいものを掴んで、それなのに満足できずに不機嫌になっていた。
掴むのではなくて、愛をもとに動きが動きとして表れているのを見る。
そのことにおおらかに開いたままでいる。
内側のままあること。
癇癪が消えて、静かに動きをなぞる。
なぞりながら、愛そのものとして溶け込む。
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ワークブック
レッスン283
私の真のアイデンティティーは、神の中にある。
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父よ、私は自分自身の虚像を作り出し、それを神の子と呼んでいます。
しかし被造物は不変であり、今も、これまで常にそうであった通りに存在しています。
私が偶像を崇拝しませんように。
私こそが、父に愛されている子です。
私の聖性は天国の光であり、神の愛するものであり続けています。
あなたに愛されている存在の安全は、確実なのではないでしょうか。
天国の光は無限なのではないでしょうか。
あなたが存在する一切を創造されたのなら、私の真のアイデンティティーが神の子でないということがあるでしょうか。
今や私たちは、共有されたアイデンティティーの中でひとつである。
父なる神を私たちの唯一の源とし、創造されたすべてを私たちの一部とする。
だから私たちは、存在するすべてのものを祝福し、赦しが私たちと一体にした全世界と、喜んでひとつに結ばれる。
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