「人のリアクションに左右されなくていい」という言葉が降りてきた。
そういえば、まだでもやっぱり、幸せの答え合わせを「外」に向けていた。
人の言動や表情という表面を見て、右往左往する。
防衛反応だなあ。
そんなときは「内側」をそっちのけにしている。
そんなときこそ、赦しと癒し、訂正の機会。
「私と彼らの本当の姿だけを見ます」という機会。
それ以外のところに幸福はない。
幸福まがいだった。
あらためて、静まり、
この世界のすべてを「正気」(聖霊)の目でみる機会にしたい。
これはなによりも幸福な作業になるなって感じる。
表面をポジティブに捉えるとかではなくて、
表面を素通りして、「真」に共鳴する。
実相世界での役目があるとすれば、「創造」とは、「創造」そのものを祝福すること。
「創造」と共鳴すること。
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ワークブック
レッスン292
すべてのことに、幸せな結果が確実である。
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神の約束に例外はない。
そして神は、すべてのものごとの結末は喜びだけだと保証する。
しかし、いつそこに至れるかは、私たち次第である。
それは、私たちがいつまで、異質の意志が神の意志に対抗するかに見えるままにしておくのか、ということである。
その意志が実在すると思っているかぎり、知覚されるすべての問題、目にするあらゆる試練、直面する一切の状況の結末として神が定めた結果を、私たちが見出すことはないだろう。
しかし、その結果は確実である。
神の意志は、天に行われるごとく地にも行われるからである。
私たちは探し、神の意志の通りに、見つけるだろう。
神の意志は、私たちの意志が行われることを保証している。
父よ、幸福な結末だけを保証してくださったことに感謝します。
私たちがそれを妨害しないように助けてください。
そして私たちが、知覚できるかぎりの問題や、まだ遭遇せざるをえないと思っている試練のすべてに、あなたの約束通りの幸福な結末がくるのを遅らせずにすみますように。
(全文)
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過去の文章(2020.12.17)↓
異質な思いとは、自我が勝手にコツコツと作り上げてきた信念。
私の根強い信念は、「神」へのこだわり。
「神」に向いていない人を裁く衝動が止まらない。
だけど、これも「投影」。
私が一番「神」を恐れているということなんだろうなぁ。
実感は、つい最近上がってきたけど、神が怖いなんて、それこそ正気じゃない。
この物質世界の危うさの方を頼みにしょうとするなんて、本当に狂っている。
やっぱりビックリしている。
絶叫しながら通り過ぎた日々に唖然としている。
「浄化」にたっぷりと時間をかけよう。
そのためにこの時空が用意されているんだ。
優しい懐に包まれて、たっぷりと浄化しょう。