【私の過去の間違いが世界を圧迫し、恐れのいびつな形の数々を私に見せているときに、世界が明るく晴れやかで、安全に自分を迎えてくれる場所に見えるだろうか。】
(L293 1:3)
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過去を思い出し、間違ってきたと思っている数々に悶絶する。
それは今でもまだまだそうなってしまう。
安全に自分を迎えてくれる場所だとは思っていないから、いつもなんらかの防衛対策を取ってしまう。
ま、でも、もういいかって(笑)、ただ笑い飛ばしたい感じもある。
そういう世界を見てるのはまさしく自分だもんなぁ。
この世界に「正しいも間違いもない」とわかっていても、自分を責め、まだ誰かから責められていると信じている自我の部分に居座っているんだもんね。
どうしてこんなに分離の世界に囚われるのか?
どうしてこんなに罪を感じるのか?
それはそこに価値と力を見ているから。
肉体を信じ、分離を信じ、罪を信じているから。
そこに心を置いているから。
これは脳の誤高揚でしかないのに、そこに居座っている。
自我を丸め込もうと思ってもそれはできないから、やっぱり「わかりません」って全体に溶けるしかない。
これだけが唯一のこと。
【しかし現在の中では、愛は明白であり、その結果も明瞭である。
全世界が愛の神聖な光を反映して輝き、私はついに赦された世界を知覚する。
父よ、あなたの神聖な世界を、今日、私の視界が見逃しませんように。
また、恐れの物音の背後で世界が歌っている感謝の賛美に、私が耳を塞ぐことがありませんように。
現在の中には過去の間違いから安全に保たれている真の世界があります。
私は今日、この実相世界だけを目の前に見たいのです。】
(L293 1:4.5 2:1~4)
ワークブック
レッスン293
すべての恐れは過ぎ去り、ただ愛のみがここにある。
・・・・・
すべての恐れは過去のものである。
なぜなら、恐れの源は過ぎ去り、それとともに怖れの想念もすべて過ぎ去っているからである。
愛のみが唯一の今現在の状態であり、その源はいつまでも永遠にここにある。
私の過去の間違いが世界を圧迫し、恐れのいびつな形の数々を私に見せているときに、
世界が明るく晴れやかで、安全に自分を迎えてくれる場所に見えるだろうか。
しかし現在の中では、愛は明白であり、その結果も明瞭である。
全世界が愛の神聖な光を反映して輝き、私はついに赦された世界を知覚する。
父よ、あなたの神聖な世界を、今日、私の視界が見逃しませんように。
また、恐れの物音の背後で世界が歌っている感謝の賛美に、私が耳を塞ぐことがありませんように。
現在の中には過去の間違いから安全に保たれている真の世界があります。
私は今日、この実相世界だけを目の前に見たいのです。