今朝は、なんとも、清々しい。
どんな状況の時も、どんな体調の時も、どんな人間関係の時も、
一度も「愛」から離れたことはなかったんだと思い出した。
この瞬間もただただ愛に包まれている。
私たちはその只中で、安心して、「創造」されたままでいたらいい。
お茶と飲むとき、
洋服を着るとき、
外を歩くとき、
運転しているとき、
仕事してるとき、
子育てしてるとき、
看病しているとき、
食事を作っているとき、
食べているとき、
寝ているとき、
肉体として死ぬとき、
この世界でどんな状況であっても、
「愛」以外のところにいたことはない。
・・・
ワークブック
レッスン294
私の肉体は、完全に中庸なものである。
・・・・・
私は神の子である。
それでいて他のものでもありえるだろうか。
神が、死すべきものや朽ちるものを創造しただろうか。
神に愛される神の子が、死すべきものに何の用があるだろう。
しかし中庸なものは死を見ない。
そこに怖れの想念はなく、贋物の愛も付与されていないからである。
それは、用途がある間は中庸であることにより保護される。
その後、目的がなくなれば使われなくなる。
病気や老齢や負傷のせいではない。
ただ機能と必要がなくなり、放棄されるのである。
今日、私が肉体をそれ以上のものと見なしませんように。
それは、少しの間だけ丈夫で役に立ち、役立つ間は有用だが、その後は、よりよくものへと入れ替わるのみである。
父よ、私の肉体はあなたの子ではありえません。
創造されなかったものは罪深くもなければ、無罪でもなく、善でも悪でもありません。
それならば、私たちが自分で作り出した一切の夢から目覚めるというあなたの計画を助けるために、私がこの夢を使うことができますように。
(全文)