苦しんでるっていうのを他の表現にしてみると、「怒ってる」「不満がある」ということ。
苦しみを受けるというのは、苦しみを選んでいるという、最も自発的なことだった。
あの苦しみも、またあの苦しみも、自発的だった。
癒され、よくよく観察すると、「何も起こっていない」すなわち「愛だけが起こってる」のだった。
この真実を受け入れたくない自我だけど、そんな怖がりな自我を、ただそこに置いておく。
自我は悪くも良くもなく、ただ自我とはそういうものなのだった。
静けさの中に癒されていく。
その癒しに包まれる。
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ワークブック
レッスン302
闇のあったところに、私は光を見る。
父よ、ついに私たちの目が開きつつあります。
視覚がついに取り戻されて見えるようになるとき、あなたの神聖な世界が私たちを待っています。
私たちは苦しんだと思っていました。
しかしそのときは、あなたに創造された神の子のことを忘れていました。
今は、闇は自分の想像の産物であり、私たちには見ることのできる光があるということがわかります。
キリストの心眼は闇を光に変えます。
愛が訪れたとき、恐れは必ず消滅するからです。
今日、あなたの神聖な世界を赦し、その聖性と見て、それが私自身の聖性の反映にほかならないと理解できますように。
私たちの愛は、みもとに行く私たちを待っている。
そしてまた、私たちの傍らを歩み、道を教えてくれる。
神は決して失敗しない。
神こそ私たちが目指す到達地点であり、神こそ私たちが神のみもとに行くための手段である。
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