分離の意識が作ってきたストーリーのあれこれを、わざわざ拾い上げて、つるし上げては、自分や人を責めたり、反省したり、閉じこもってきたりしてきた。
だけどこれらの葛藤自体、分離意識の願望なので、分離意識のストーリーを見ているのなら、葛藤は抗えないのだ。
「コース」「非二元」は、「これまでの間違いの数々で、身も心も罪悪感でいっぱいになってても、『何も起こっていません』というおおらかな光にゆだねていいよ」、と大盤振る舞いの提案してくれている。
分離の意識が、骨の髄までしみ込んでいるから、そんな無条件のゆるしの提案がなかなか受け入れられなくて、動揺し続けている。
ただ、今できるのは、その動揺を隠さないことだけだ。
これからも、まだ肉体の夢の中では、自我の声なのか?聖霊の声なのか?が、より巧妙になってくるだろう。
インスピレーションなのか?自我の衝動なのか?
そんなことに敏感になって、身動き取れなくなったりする。
だけど、それでも、その葛藤とは全く関係のないところで光は燦然と輝いている。
だから、これからも安心して間違えようと思う。
間違えて、ゆるし、間違えて、ゆるし、間違えて、ゆるし。
愚かさ、みっともなさ、恥ずかしさ、喜怒哀楽があるならあるだけ、「空(くう)」へと預けよう。
分離の夢の輪郭が金色になぞられ、光そのものへ溶けていく。
間違いは祝福される。
こうして身をゆだねるだけだとわかるから。
最後は、ゆるしだけがある。
「空(くう)」だけがある。
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ワークブック
レッスン307
葛藤する願望は、私の意志ではない。
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父よ、あなたの意志だけが私の意志です。
ほかに私がもつべき意志はありません。
他の意志には意味がなく、私の苦痛の原因となるだけなので、私が他の意志を作り出そうとしませんように。
あなたの意志だけが私に幸福をもたらすことができ、あなたの意志だけが実在しています。
あなたが与えてくださるものだけを持ちたいと望むなら、私はあなたの意志を自分に受け入れて、平安の中に入っていかなければなりません。
その平安の中では、葛藤は不可能であり、あなたの子は実在と意志においてあなたとひとつです。
また、そこには、私があなたに創造されたままの私であり続けるという神聖な真理に矛盾するものは一つもありません。
この祈りとともに、私たちは、葛藤が侵入できない状態へと静かに入っていく。
私たちは、自分たちの意志は神の意志と同じだという認識のもとに、神聖な私たちの意志を神の意志に合一させるからである。
(全文)