私は、真実ではない別の意志を自分が作り出し、それを実在させたと思っているからこそ、内側を見ることを恐れている。(W309 1:5)
ここの部分にひっかかってしまうー--。
これまでの憎悪を幻だとは感じられないー--。
そして、憎悪を隠しているということは、これまでの自分の作ったストーリーをリアルだと思っているから。
だって、この世的にはリアルだもん。
善悪がベースになっている世界では、悪いことは悪いもん。
この世界の示している大まかな基準をベースにすると、たくさんズルいことしてきた。
人に言ったらドン引きされるようなこと思ったり、やったりしてきた。
でも「真の対等性」からすれば、全部が「同じ」。
「何も起こっていない」とは、そういうこと。
だからこそ、それを隠さず真正面から見て、兄弟にも見てもらう。
セラピストの仮面をかぶっていると、いつまでも、これができない。
できなかった。
兄弟にさらすことを許可したのに、はぐらかされることばかりだったが、これは、私が仮面をかぶったままだったからなんだろう。
本当にさらすという覚悟が、「ゆるし」へと延長されていく。
兄弟に感謝。
「ゆるし」に感謝。
・・・
ワークブック
レッスン309
今日、私は内側を見ることを恐れない。
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私の中に、永遠なる無垢性がある。
それが永遠にそこにあることが神の意志だからである。
神ご自身の意志と同じく無限の意志をもつ神の子である私は、このことについて、どんな変化も意志することはない。
父の意志を否定することは、私自身の意志を否定することだからである。
内側を見るとは、私の意志を、神が創造したままのものとして、ありのままに見出すことである。
私は、真実ではない別の意志を自分が作り出し、それを実在させたと思っているからこそ、内側を見ることを恐れている。
しかしそのようなものは何の結果ももたらしてはいない。
私の中には神の聖性が存在する。
私の中には神についての記憶が存在する。
父よ、今日、私が踏み出す一歩は、罪という不毛な夢から私を確実に解放してくれます。
あなたの祭壇は、穢されることなく、静かに立っています。
それは私の自己に捧げられた聖なる祭壇であり、そこで私は自分の真のアイデンてぃていーを見つけます。
(全文)