自我でどっぷり生きてきたなぁ。
そわそわ、ざわざわ、もやもや、恐々と、日々、しっくりこないまま、所在なさげな寄る辺ない多くの時間を過ごしてきた。
自分の実力や能力がないせいだとか、間違っているからだとか、ちゃんと頑張っていないからだとか思ってきた。
今は、これまでの出会いと学びのおかげさまで、
自我の構造を、ゆっくり慌てないで、正面から、ありのままに冷静に見つめるようになり、自我が見抜かれていくさまに寄り添えるようになり、本当の所在の場、気づきの場に戻れるようになった。
昨日、あることで、そんなに知らない人から少し強い口調で責めらることがあった。
以前は、そんなことがあると、心の中で、罪悪感とその逆の反発心でいっぱいになるけど、今回は、違った。
「何が起こってるのかなぁ」と静かだった。
そして、この「投影」を起こしているのが自分なのだなぁと、その「投影」をたどり、物語を見つめ、感じ、その出どころである「空」に合流した。
これまでを思い返すと、この寄る辺ない不確かな世界で、この世界に振り落とされないように、必死だった。
だから、この世界のルールを見落とさないように注意し、ルールに反していると思うと罪悪感がわき、必死で正そうとしてきて、でも、その反面、不自由さに反発していた。
責められたり怒られたりすると罪悪感と反発心を感じ、また、私自身も、それと同じことを自分や他の人にもさんざんやってきた。
今思うと恥ずかしい。
だから、上がってきた恥ずかしさとともに、そこに静かにとどまった。
「空」に溶けていくのを見届けた。
自分や、誰かを責めたり、怒ったりする理由など、本当は存在しない・・・。
例えば、子供が思い通りにならない、夫が私の思うようにいてくれない、親が私の思うような人ではない、友達が私が思うように付き合ってくれない。
真理の学びにおいても、その人が思うように気づいてくれない・・・。
自分の容姿や思考感情、健康状態も思い通りにならない・・・。
お気に入りの人が思っていたのと違う感じだった・・・。
コミュニティや冠婚葬祭やお国柄の行事のルールへの罪悪感や反発心もずっとあった。
これらに気を取られ、責め、コントロールしょうと策を練り、形の世界でどうにかしょうとしてきた。
だけど、すべての出どころは、「空」なのだから、形の世界で何かを変えても、不確かさは変わらない。それは不可能。
癒しはすべて「空」にて行われる。
私はただ静かに、その中に落ちていくだけなのだ。
「空」の中で、これまでのありとあらゆる泣き叫びを、今上がっている分、ただ抵抗せずに、浮き上がらせ、それが「空」に消えるままにする。
「空」に心を開くだけ。
「今」という時空を超えた愛の場にずっといる。
そして、愛の場のまんま、この世界と関わると、そこに怒りも悲しみも生じなくなっていく。
ただ静かで揺るぎない安らぎや、優しい微笑、慈愛がある。
・・・
ワークブック
レッスン314
私は過去とは違った未来を求める。
・・・・・
世界の新しい知覚の中から、過去とはまったく異なる未来がやってくる。
今や未来は現在の延長に過ぎないと認識される。
過去の誤りは未来に影を落とさず、恐れは偶像も形象も失って形なきものとなり、いかなる結果ももたらさない。
今では、死が未来を奪おうとすることはない。
今や未来のもつゴールは生命となり、そのために必要な手段はすべて快く用意されるからである。
現在が解き放たれ、その安全と平安が延長され、喜びに満ちた静かな未来へと続いていくときに、誰が嘆いたり苦しんだりできるだろう。
(1:1-5)
父よ、私たちは過去において間違っていましたが、今、自由になるために現在を使うことを選びます。
今、私たちは未来を御手にゆだね、過去の間違いを後にします。
そして、あなたが現在の約束を守り、その聖なる光の中で未来を導いてくださることを確信してしています。
(全文)