頭を使わないでいいときは、本当のわが家にいるとき。
頭が必要ない。
愛があるから。
与えるもなにも、もう最初からある。
そこに向く意欲だけ。
その自覚だけ。
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ワークブック
レッスン316
私が兄弟に与える贈り物はすべて、私のものでもある。
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兄弟からの贈り物がどれも私のものであるのと同じように、私が与える贈り物はどれも私に属している。
そのどれもが、過去の誤りを除去し、父が愛する聖なる心から誤りの影を消し去る。
すべての時を通し、あらゆる時を超えて、兄弟が受け取った一つひとつの贈り物の中で神の恩赦が私に与えられている。
私の宝庫は宝物であふれ、天使たちは、贈り物が一つも失われずに蓄えが増すようにと、その開かれた扉を見守っている。
私は自分の宝があるところまで行こう。
そして、自分が真に歓迎され、神から与えられた贈り物に囲まれ、わが家のくつろぎを得られるその中へと入っていこう。
父よ、今日、私はあなたの贈り物を受け入れたいのです。
私には贈り物が認識できません。
それでも、贈り物が私に見えるようになってそれらの価値が理解され、それらだけを自分がほしいものとして大切にできるように、そのための手段を、その送り主であるあなたが与えてくださると信じています。
(全文)
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(過去の文 2020.1.10)
自我の力で、自我を滅することはできないのです。
そして自我に良い悪いもないです。
ただ自我が主張しているのは、「分離」していたい!!ということなので、「分離」と「孤独」はセット。
「分離」と「比較」はセット。
「分離」と「闘い」はセット・・・・なのですね。
一生かけて思い出すのは、自我と私たちは同一のものではない、ということ。
不自然な状態なのだから、不自然なことになっている、という自然なことに氣づくということ。
そして出来るのは、不自然、だと感じることから離れるだけなのですね。