部分的な和解はない。
私がゆるされるということは全部がゆるされるということ。
無罪性がゴール。
ゆるされている私と私たちがゴール。
無罪性というスタートに戻る。
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ワークブック
レッスン318
私の中で、救済の手段と到達地点はひとつのものである。
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聖なる神の子である私の中で、世界を救済するための天国の計画のあらゆる部分が和解している。
すべての部分が一なる目的と一なる意図をもつとき、葛藤し合うものなどあるだろうか。
単独に存在する一部分がありえるだろうか。
あるいは、他よりも重要であったりなかったりする一部分がありえるだろうか。
私自身が、神の子が救済されるための手段である。
なぜなら、救済の目的は神が私の中に置いた無罪性を見出すことだからである。
私自身が、自分の探し求めている対象そのものとして、創造されている。
私自身が、世界が探し求めているゴールである。
私は神の子であり、神の一なる永遠の愛である。
私は救済の手段であると同時に到達地点でもある。
父よ、私が自分に贖罪を受け入れるように、あなたが私に与えてくださる役割を、今日、私に担わせてください。
そうすることによって私の中で和解するものが、確実に、あなたとも和解するからです。
(全文)