呼びかけようとしていないのは私。
神が聞いてくれないのではなく、私が私の言い分に忙しかっただけなのだ。
言い分を退かさずにいれば、そこに愛が入る余地はない。
「私は私の幸せを知っています」という言い張りを退ける。
「私は私の幸せをわかりません」という静かな心。
そしたら、確かさがある。
呼びかけは確かに聞かれている。
全体、愛、神にコミットする。
これが機能。
ゆるぎやさという答え。
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ワークブック
レッスン327
私が呼びかけさえすれば、あなたは私に答える。
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私は何の裏づけもない盲信を土台に、救済を受け入れるように求められているのではない。
神は、私の呼びかけを聞き、ご自身で答えると約束された。
これが本当であることを、体験から学ぶことにしよう。
そうすれば、神への信仰心が必ず私にもたらされるはずである。
これが持続する信仰心であり、それは神へと至る道のさらに遠くまで私を連れていってくれるだろう。
そのようにして私は、神が私を見捨てることなく今も愛していてくれると確信するようになる。
神のもとに行くのに必要なあらゆる助けを私に与えようとして、神は私からの呼びかけだけを待っている。
父よ、私が試してみさえすれば、あなたの約束は決して破られないという体験が得られることに、感謝します。
ですから、私があなたの約束を裁かず、試してみようという気持ちになれますように。
御言葉はあなたと一体です。
あなたが確信をもたらす手段を与えてくださるので、ついに、あなたの変わることなき愛について確信できるようになります。
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