五感の目を通すと恐ろしく見えていたのに、愛で見たら、全てが満ち満ちていました。
どこまでもあたたかい光が続いていました。
これまで盲目でした。
形に囚われ、形ばかりに気を取られて、その不安定な、あるような無いような、そんな朧げな世界に一縷の望みをかけていました。
私の目を全部、聖霊に預け、かわりに見てもらいます。
身体を預け、心眼にゆだねます。
安らかさ、休らかさ、満ち満ちたぬくもりに揺蕩います。
真の力にゆだねます。
・・・
ワークブック
レッスン352
裁きと愛は正反対のものである。
一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。
もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。
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赦しは無罪性だけに目を向け、裁くことはしません。
赦しを通して、私はみもとに参ります。
裁きは私の目を眩ませ、盲目にします。
しかし、この世界では赦しに反映されている愛が、あなたの平安を再び見出す道をあなたが私に与えてくださっていることを、私に思い出させます。
この道をたどることを選ぶとき、私は贖われます。
あなたは私を慰めもなく放っておくことはされませんでした。
私は自らのうちに、あなたについての記憶と、私をそこまで導く存在の両方をもっています。
父よ、今日、私はあなたの声を聞き、あなたの平安を見出したいと願います。
自分自身のアイデンティティーを愛し、その中にあなたについての記憶を見出したいのです。
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