どんなものでも、限定的なもの、個別的なものは、「分離」から離れないための言い張り。
私は、「わかってほしい」と言う気持ちを強く持っていたけど、その言い張りこそが、「分離」を取り下げない「病」のようなもの。
「わかってほしい」という思いが「全体」を遠ざけてきた。
私の思いは、全体そのものだったと受け入れる。
わかるも何も、「わかってもらえない」ことは、なんの重要なことでもなかった。
重要視し、個人に居座り、愛とつながらないようにしていた。
全ては明らかだった。
何も隠されていなかった。
それを受け入れたら、「個人」という孤独な苦しみと入れ替わりに、満ち満ちた喜びに溢れた。
・・・
ワークブック
レッスン356
病氣とは罪の別名である。
癒しとは神の別名である。
だから、奇跡は神への呼びかけである。
・・・・・
父よ、わが子があなたに呼びかけるなら必ずそれに答えると、あなたは約束されました。
彼がどこにいようと、彼の問題が何であると思えようと、自分がどのような存在になったと彼が信じていようと、それは問題ではありません。
彼はあなたの子ですから、あなたは彼に答えてくださるでしょう。
奇跡はあなたの愛を反映しており、だからそれが彼に答えます。
あなたの名がすべての罪の概念にかわるものとなります。
そして、罪なき者が苦痛を被ることはありえません。
あなたの名はあなたの子に答えを与えます。
あなたの名を呼ぶということは、彼自身の名を呼ぶことにほかならないからです。
(全文)