ゆだねること。
自分を兄弟を「愛」だと認めること。
このあまりにも自然で当たり前で優しくて美しい方法を、もうやめる気はない。
それ以外の生き方はできない。
する必要と理由がない。
ありがとうございます。
・・・
ワークブック
レッスン361
聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。
あなたが主導してください。
あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。
そしてもし私が、自分を助けてくれる言葉を必要とするなら、聖霊がそれを与えてくれるだろう。
もし何らかの考えが必要なら、それも聖霊が与えてくれるだろう。
静けさや、穏やかで開かれた心が必要なら、私はそれを聖霊からの贈り物として受け取るだろう。
聖霊が主導してくれるのは、私がそれを要請したからである。
私の父である神と神聖な神の子を代弁する聖霊は、私の求めを聞き、答えてくれるだろう。
(全文)
私たちは二度と再び罪を信じることへと後戻りしたくはないからである。
罪を信じていたからこそ、世界は酷く不安な場所に見えていた。
攻撃的で破壊的な場所、すべてにおいて危険で、信頼の希望も苦痛を逃れる手立てもなく、あてにならない場所のごとく見えていた。
(最終課題ー練習の前に 1:5)
私たちが探し求めているのは、神が定めた夢の終わりであって、私たち自身が決める終わりではない。
私たちは自分が赦すすべてを、必ず神ご自身の一部として認識する。
そうして神についての記憶が、完全な形で、完全に戻ってくる。
(最終課題ー練習の前に 3:4)
神を思い出すことが、地上における私たちの機能である。
実相においては、私たちは神ご自身を完成するものとなるべく定められている。
だから、私たちのゴールは共有されているということを忘れずにいよう。
それを覚えていることによって、神が思い出され、神の平安のある天国および神ご自身へと至る道が示されるからである。
これを私たちに差し出すことのできる兄弟を、私たちは赦そうではないか。
彼が道であり、真理であり、生命であり、私たちに進路を示してくれる。
彼の中に救済が宿り、それは彼に与えられる私たちの赦しを通して私たちに差し出される。
(最終課題ー 練習の前に 4:1-5)
誰に会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。
あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。
彼を扱う通りに自分自身を扱う。
彼について考える通りに自分自身について考える。
このことを決して忘れてはならない。
なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分を見出すことにもなるからである。
二人の神の子が出会うときはいつでも、両者に救済のための新たな機会が与えられる。
救済を相手に与え、自分も受け取ることをせずに、誰のもとからも立ち去ってはならない。
なぜなら、私はあなたを記念するために、常にあなたと共にそこに居るからである。
(テキスト編 第8章 Ⅲ-4:1~8)