【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

マニュアル編 十五.最後には一人ひとりが審判されるのか

神の審判って、恐ろしい裁きなどではない。

子供のころに見せられた「地獄絵図」は、身体ありきの描写でしかなかった。

だけど、自分が身体だと思い込んでいたし、身体と心はくっついてると思い込んでいた。

 

身体と心がくっついてる、この不便さ、煩わしさ、複雑さが本当に苦痛だった。

 

でも、心底信じていたし、逃れられないと思っていた。

 

そして、このくっついた状態が永遠に続くという夢を見ていたのだ。

 

そして、くっついてる間のことを輪廻と言うのだ。

 

身体はわたしたちが勝手に作ったもので、だからこそ、勝手に作ったことへの罪の意識があり、破壊願望がある。

 

作ったり、壊したり、忙しいし騒がしい。

 

だけど、「静まれば」、その騒がしい夢から目が覚める。

 

神の審判とは、「身体」という罰ゲームを全部取り除いてくれる。

 

「身体」は裁かれることなく、静けさを伝えるための優しい器になる。

 

この真実に本当に救われた・・・・・。

 

怖い夢をやめることができた。

 

この世界を光で包む。

 

光の粒子は愛の発光体。

 

・・・

十五.最後には一人ひとりが審判されるのか

 

まさしく、その通りである!

神の最後の審判から逃れられる者はいない。

いったい誰が、真理から永遠に逃げ果せるだろう。

しかし、最後の審判は、それがもはや恐れと結びつけて考えられなくなるときまでは訪れない。

いつの日か、誰もがそれを歓迎するようになる。

その日こそ、それが彼に与えられる。

自分に対する神の最後の審判を受け取るとき、彼は、世界中のあらゆるところで自分の無罪性が宣言されて世界を解放するのを聞くだろう。

これが審判であり、その中に救済が内包されている。

これが、彼を自由にする審判である。

この審判の中で彼と共にすべてが解放される。

永遠が近づくと時間は停止し、世界は静まりかえり、すべての者が神の子についてのこの審判を聞くだろう。

 

あなたは神聖なる者、永遠にして自由であり、全一なる者。

神のこころの中で永久に安らかな者。

どこに世界があり、どこに悲しみがあるだろう。

 

神の教師よ、これが自分自身に対するあなたの審判だろうか。

これが完全に真実だと、あなたは信じているだろうか。

いや、今はまだ、信じてはいない。

しかし、依然として、これがあなたのゴールであり、それがあなたがここに居る理由である。

あなたの機能は、この審判を聞き、それが真実であると認識できるように自分自身を準備することである。

このことを完全に信じる一瞬があれば、あなたは信念を超えて確かさへと移行する。

時間の外の一瞬があれば、時間の終わりをもたらし得る。

裁かずにいなさい。

なぜなら、あなたが裁くのは自分自身だけであり、それによりこの最後の審判を遅らせることになるからである。

神の教師よ、世界についてのあなたの審判はどのようなものだろうか。

あなたは脇に退いて自分の内なる審判の声から聞くことを、もう学んだだろうか。

それとも、依然として聖霊からその役割を取り上げようとしているだろうか。

静かにすることを学びなさい。

なぜなら、聖霊の声は静寂の中で聞こえるからである。

そして聖霊の審判は、脇に退いて静かに耳をすまし、聖霊を待つすべての者に訪れる。

 

あなたは、ときには悲しみ、ときには憤り、またあるときは、自分に当然与えられるべきものが与えられていないと感じ、自分の最善の努力が感謝されないばかりか軽蔑されていると感じることがある。

こうした愚かな考えは放棄しなさい!

それらはあまりに卑小かつ無意味であり、これ以上一瞬たりともあなたの聖なる心を占領すべきものではない。

神の審判はあなたを自由にしようとして、あなたを待っている。

世界の贈り物をあなたがどのように審判しているかは別として、世界は、あなたが手に入れたいと思うような何を差し出すことができるというのだろう。

あなたは審判されることになるが、それは公正で誠実な審判である。

神には欺瞞はない。

神の約束は確かである。

ただそれだけを覚えておきなさい。

最後に受け入れられるのは神による審判であり、ただそれのみであることが、あなたの機能である。

神の審判を大切に胸に抱き、それを安全に保つために全世界を差し出すことが、あなたの機能である。