あんなに焦燥感に駆られていたのはなんだったんだろう。
この世界の何かに急き立てられることはもうない。
あっても、その瞬間に、「空」にゆずる。
そして「空」を祝福する。
それ以外にはなにもない。
・・・
エピローグ
ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だということを、忘れてはならない。
途中で疑いが何度も去来するだろう。
それでも旅が終わることは確かである。
神から任せられたことを成し遂げられない者はいない。
このことを忘れたときには、あなたは神の言葉を胸に抱いて神と共に歩んでいるということを思い出しなさい。
これほどの希望が自分のものだというときに、絶望できる者などいるだろうか。
絶望のように見える幻想の数々が訪れるかに見えるかもしれない。
しかし、どのようにすればそれらに欺かれずにいられるかを学びなさい。
どの絶望の背後にも実相があり、神が居る。
神の愛が道の一瞬先にあり、そこですべての幻想が終わるというときに、なぜあなたは実相を待ち続け、それを幻想と交換してしまおうとするのだろうか。
終わりはまさしく確実であり、神に保証されている。
ほんの一歩先で、至聖なる存在が、世界の向こう側へと続く往古の扉を開こうというときに、いったい誰が生命なき偶像の前に佇んでいたりするだろう。
ここでは、あなたは紛れもなく異邦人である。
しかしあなたは神に属しており、神はご自身を愛するようにあなたを愛している。
石をわきへ転がすのを助けて欲しいと私に頼みさえすれば、神の意志にしたがって、それは為される。
私たちはすでにその旅を始めている。
遠い昔に、その終わりのことは星々に記され、天空に刻まれ、きらめくひとすじの光線が、すべての時間をも貫いて永遠の中にそれを安全に保ってきた。
そしてそれは今もそのように保たれており、不変のまま、変わることなく、変わり得ないものであり続けている。
怖れてはならない。
私たちは、新たな旅のように見えるが遠い昔に始まった往古の旅に、もう一度出かけるだけである。
以前に旅をして少しの間だけ迷った道を、私たちは再び歩み始めた。
そして今、もう一度試みる。
私たちの新たな旅立ちには、これまでの旅に欠けていた確信がある。
仰ぎ見て、星々の間に神の言葉を見つけなさい。
神はそこに、ご自身の名と共にあなたの名を配した。
仰ぎ見なさい。
そして、世界は隠そうとするが神はあなたに見せようとするあなたの確かな運命を、見出しなさい。
私たちはここで静かに待とう。
そして、私たちに呼びかけ、ご自身の呼びかけを私たちが聞くことができるように助けてくれた神に感謝して、一瞬の間、跪こう。
そしてそれから立ち上がり、信を抱いて神への道を歩んでいこう。
今では、私たちはひとりで歩むのではないと確信している。
神はここに居る。
そして神と共に、すべての兄弟もここに居る。
私たちはもはや二度と再び道に迷うことはないと知っている。
再び歌が始まる。
その歌は、悠久の昔から一度もうたわれたことがないかに思えるが、ほんの一瞬途切れていただけである。
ここで始まったものはその生命と力と希望を増していき、ついに、世界は一瞬の間静まり、罪の夢が紡ぎ出したすべてを忘れるだろう。
新たに生まれた世界を出迎えにいこう。
そこではキリストが再生しており、この再生の聖性は永遠に続くことを、私たちは知っている。
私たちは道を見失っていたが、彼はそれを見つけてくれた。
彼を歓迎しにいこう。
彼は、救済を祝うために、そして私たちが作り出したと思っていたすべてのものの終わりを祝うために、私たちのもとに戻ってくる。
この新しき日に、明けの明星はそれまでとは違った世界を照らす。
そこでは、神が歓迎され、その傍らの神の子も歓迎されている。
神を完成させる私たちは神に感謝を捧げ、神も私たちに感謝する。
神の子は静かになり、神から与えられたその静けさの中でわが家に戻り、ついに平安に包まれる。