今、「奇跡講座」の”メモ”は止まっちゃってます・・・。
なんかもう、充分すぎて、なんの必要もわいてこない感じです。
ただ、お茶を飲むひとときでも、完全さに完結しちゃう。
利休さんが、茶道をどんどん簡素化していった感覚がわかるような気がします。
そこにあるものがすでに実在、実相、愛そのもの。
だから、竹の花瓶や無骨で自然発生の作為のない茶碗、とても狭い茶室・・・。
そんな感じになっていくのですね。
もうね、、、どちらにせよ、大丈夫なんですもん。
愛しかない。
「ま、お茶でも」
その気楽さは神意識。
それでも、そのうち、またこちらにて、なにかしら発信を再開するかもしれません。
ですが、今はアメブロのみでつらつらと発信しています。