【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

なんにも掴まない(レッスン256)

本当はいかなる罪もない神の子を、私たちが赦したという夢を見ることはできる。

 

「本当はいかなる罪もない神の子」

 

これだけが真実。

 

その目だけを採用しよう。

 

それまではみんな夢の中なんだ。

 

それまではみんな眠りこけているだけなんだ。

 

・・・

ワークブック

レッスン256

 

今日は、神だけが私のゴールである。

 

神への道はこの世では赦しを経由する。

それ以外に道はにない。

もし、心が罪を大切にしていなかったなら、

あなたが今いるところへこようとする必要などあっただろうか。

いまだに確信がもてない者などいただろうか。

自分が誰なのか、よくわからない者などいただろうか。

そして、神が罪なきものをして創造した者の聖性を疑わせる分厚い雲の中で、

いまだに眠ったままの者などいただろうか。

この世では、私たちは夢を見ることしかできない。

しかし、

本当はいかなる罪もない神の子を、私たちが赦したという夢を見ることはできる。

それが、今日、私たちが見ることを選択する夢である。

神が私たちのゴールであり、

赦しは私たちの心が遂に神のもとに帰るための手段である。

 

父よ、このようにして、私たちはあなたが定めた道を通って、

あなたのみもとに参ります。

御声を聞くことと、神聖な御言葉が指し示す道を見出すこと以外に、

私たちのゴールはありません。

(1・2)

 

・・・・・

 

妄想を一瞥したら脇に置く。

 

脇にどかしたままにしておく。

 

この肉体と頭を通して経験した多くの夢という妄想。

 

それらの全部を明け渡す。

 

惨めさ

孤独

無価値観

絶望感

虚脱

罪悪感

優越感

羨望

 

全部が夢と妄想。

 

夢のストーリーから降りる。

 

びっくりするほど優しい世界(レッスン255)

何を殺気立っていたんだろうって笑っちゃう。

 

夢を見ていたんだなぁ、怖い夢。

 

目を覚ますと、

 

光が優しく見つめてくれていた。

 

その御胸に抱かれていた。

 

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ワークブック

レッスン255

 

私はこの一日を、完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ。

 

・・・・・

 

私は、今日、

自分が平安だけを選択できるとは思えない。

それでも、わが神は私に、神の子は神ご自身と同じだと保証している。

今日は、私が神の子であると語る聖霊を信じよう。

そして、今日、

私が選択し自分のものとする平安を、

聖霊の語ることが真理であることの証しとしょう。

神の子にはいかなる心配もありえず、

天国の平安の中に永遠にとどまっているはずである。

私は神の子の名にかけて、

父が私のために意志するものを見出すことに、

今日一日を捧げる。

それを自分のものとして受け入れ、

私とともに父の子であるすべての人にそれを与える。

 

父よ、そのようにして、私は、この日をあなたとともに過ごしたいと願います。

あなたの子はあなたを忘れてはいません。

あなたが彼に捧げた平安は、今も彼の心の中にあり、私はその平安の中で、

今日という日を過ごすことを選びます。

(1・2)

沈黙(レッスン254)

「沈黙」が最高の言葉だったのだとようやくわかった。

 

そして、これからも、「音」が消えていくさまを見守りつづける。

 

それが最高で最大で究極の生きがい。

 

これ以上の喜びはなかった。

 

至福の「沈黙」のシャワーを浴び続け、それは延長されていく。

 

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ワークブック

レッスン254

 

私の中で、神以外の声がすべて静まりますように。

 

・・・・・

父よ、今日はあなたの声だけを聞きたいと願います。

御声を聞き、御言葉を受け取るためだけに、このうえなく深い沈黙の中で、みもとに参ります。

私の祈りはただ一つ、あなたから真理を受け取るために、あなたのみもとへ向かうこと、それだけです。

そして真理とは、あなたの意志にほかならず、私は今日、それをあなたと共有します。

 

今日、私たちは、自分の言葉や行為が自我の考えに支配されないようにする。

そのような考えが生じたら、静かに後ろへ退いてそれらを見つめ、

その後、それらを手放す。

私たちは、そうした考えがもってこようとするものを望まない。

だから、それらを保持することを選ばない。

それらは今、静まっている。

神の愛により聖域となったその静けさの中で、神は私たちに語り、

私たちの意志を教えてくれる。

それは、私たちが神を思い出すという選択をしたからである。

(1・2)

喜んで賛同するのみ(レッスン253)

新たに作られなければならないものはひとつもありませんでした。

 

時間も必要ではありません。

 

常に創造は新しさのまま存在してます。

 

このシンプルな真実に喜んで賛同します。

 

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ワークブック

レッスン253

 

私の自己は、宇宙の支配者である。

 

・・・・・

私自身から招かれずに私のもとにくるものはない。

この世界においてさえ、

私の運命を支配するのは私である。

私の身に起こることは、私が望んでいることである。

生じないものは、私がそれが起こることを望まないものである。

このことを、

私は受け入れなければならない。

なぜなら、

そうすることにより、

私はこの世界を超えて、

天国の中の私の被造物、

すなわち私の意志から生まれた子供たちへと、

導かれるからである。

そこには、

私の神聖なる自己が、

私が創造した彼らと、

私を創造した神とともに、

住んでいる。

 

あなたは大いなる自己であり、ご自身のために子を創造されました。

その子は、あなたと同じように創造し、あなたとひとつのものです。

宇宙を支配する私の自己は、私自身の意志と完璧に一致しているあなたの意志にほかなりません。

その私の意志は、それ自体へと延長されるようにと、ただあなたの意志に喜んで賛同するのみです。

 

(1・2)

衝動の終焉(レッスン252)

私のあらゆる概念をただそこに置く。

 

これまでの自責の念は優しく包まれ、そのうちあたたかさの中に消える。

 

静かな確信を生きる。

・・・

 

ワークブック

レッスン252

 

私のアイデンティティーは神の子である。

 

私の自己の聖性は、

今の私が考えつくあらゆる聖性の概念を超えたものである。

そのきらめくような完璧な清らかさは、

これまで見たどんな光よりもはるかにまばゆく輝いている。

その愛に限界はなく、

静かな確信がもたらす落ち着きの中で、

すべてのものを自らのうちに包み込む深みを備えている。

その強さは、世界を動かす燃えるような衝動からくるのではなく、

神ご自身の限りない愛からやってくる。

私の自己は、この世界からはどれほど遠く隔たっていることだろう。

しかし私と神からは、何と近くにあることだろう。

 

父よ、あなたは私の真のアイデンティティーをご存知です。

あなたの子である私に、今、それを明らかにしてください。

それにより、私はあなたの中で真理に目覚め、

天国が自分に取りもどされているのを知ることができるようになります。

(1・2)

 

 

ついに私は心安らかな自分を見出す(レッスン251)

握りしめている「自分」を解き放ち、

 

どんどん落ちてゆくと、

 

得も言われぬ安堵があった。

 

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ワークブック

レッスン251

 

私は真理だけを必要としている。

 

私は多くのものを探し求めたが、見つけたのは絶望だった。

今度は、ただ一つものもを求める。

その一つの中に、私に必要なすべてがあり、それだけが私に必要だったからである。

以前に求めたものは、必要のないものだった。

望んでいるものですらなかった。

自分の唯一の必要を、私は認識していなかった。

しかし今、自分が真理だけを必要としていることがわかる。

その中ですべての必要が満たされ、一切の渇望が終わり、あらゆる希望がついに叶い、夢は消え去る。

今、私は自分に必要なすべてをもっている。

今、ほしいものすべてをもっている。

そして今、ついに私は心安らかな自分を見出す。

 

父よ、私たちはその平安に感謝します。

私たちが自分に拒んだものを、あなたは取り戻してくださいました。

それだけが、私たちが真に望むものです。

(1・2)

 

・・・・・

4.罪とは何か

 

罪とは狂気である。

それは心を狂わせる手段であり、それにより、心は幻想が真理と入れ替わることを求める。

狂った心は、真理があるべきところや実際にあるところに、幻想を見る。

罪は肉体に目を与えた。

罪なき存在には、見たいと思う対象などないからである。

罪なき存在が情景や音や感触に何の用があるだろう。

聞きたいことや、握りしめたいものが何かあるだろうか。

そもそも五感で感じたいと思う対象などあるだろうか。

「五感」で感じるとは、「知る」ということではない。

そして真理を満たせるのは知識だけであり、ほかにはありえない。

 

肉体とは、心が自らを欺くために作り出した道具である。

肉体の目的は、存続のために努力することである。

しかし、努力の目標は変わりえる。

そうなったとき、肉体は別の努力目標に仕えるものとなる。

今や肉体が探し求めるものは、心が自己欺瞞というゴールのかわりに受け入れた新たな目的によって選択される。

虚偽だけでなく真理も、肉体の目的となりえる。

真理が目的となれば、五官は真実なるものの証人たちを探し求める。

 

罪はすべての幻想の住処であり、幻想とは、不信実な考えから生じる想像の産物にすぎない。

それらは、実在性のないものが実在するという「証拠」である。

神の子が邪悪であり、時間を超越したものに終わりがあり、永遠の生命が死すべきものだと、罪は「証明」する。

そうして神は愛し子を失い、神を完成させるものは腐敗だけとなり、死が永久に神の意志を打破し、憎悪が愛を殺害し、もはや平安は存在しない、ということになる。

 

狂人の夢はぞっとするほど恐ろしく、罪は身の毛がよだつほど怖いものに見える。

だが、罪が知覚するものは、幼稚なゲームにすぎない。

神の子は戯れに、邪悪さと罪悪感の餌食である肉体となって、

死ねば終わるはかない生命と化した、というふりをすることはできる。

しかしその間も父の光は彼を照らし、彼がどんなに偽装しても微塵も変わらぬ永遠の愛をもって、彼を愛している。

 

神の子よ、あなたはいつまで罪のゲームを続けるつもりなのだろう。

こうした刃先の鋭い玩具を片づけようではないか。

あなたはいつになったら故郷に帰る用意ができるのだろう。

それは今日だろうか。

罪は存在しない。

被造物は不変である。

それでもまだ、天国への帰還を咳に延ばしたいのだろうか。

ああ、聖なる神の子よ、

いったいいつまで、あなたはそれを続けたいのだろう。

 

(全文)

罪や悪は幼稚なゲーム(レッスン250)

恐怖を煽るようなニュースやドラマ作品などに、最初はむきになって怒っていたし、裁いていたけど、

 

そんなことする必要はなかったんだなぁって。

 

よく考えたら、

 

それらはどうしたってあり得ないこと。

 

作られた物、

 

まがい物だし、

 

そして、

 

全部が、元は「愛」だから、

 

特に何の問題もなかった。

 

どこにも問題はない。

 

全部、優しさであり、

 

全部、神聖な光。

 

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ワークブック

レッスン250

 

私自身を、限られた者として見ることがありませんように。

 

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今日、神の子を見て、彼の栄光を証言しょう。

彼の中の神聖な光を陰らせ、彼の強さが衰えて虚弱となるのを見ようとするのはやめよう。

また、彼の中に欠乏を知覚して、それを理由に彼の主権を攻撃しようとするのはやめよう。

 

父よ、彼はあなたの子です。

今日、私は自分の幻想のかわりに、彼の優しさを見たいと願います。

彼は私自身であり、私は、彼を見る通りに自分自身を見ます。

今日、ついに彼と自分を同一視できるように、私は真に見たいと願います。

(1・2)

 

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ワークブック編 第2部(P495)

 

4.罪とは何か?

 

狂人の夢はぞっとするほど恐ろしく、罪は身の毛がよだつほど怖いものに見える。

だが、罪が知覚するものは、幼稚なゲームにすぎない。

神の子は戯れに、邪悪さと罪悪感の餌食である肉体となって、

死ねば終わるはかない生命と化した、というふりをすることはできる。

しかしその間も父の光は彼を照らし、彼がどんなに偽装しても微塵も変わらぬ永遠の愛をもって、彼を愛している。

(4:1-4)

 

神の子よ、あなたはいつまで罪のゲームを続けるつもりなのだろう。

こうした刃先の鋭い玩具を片づけようではないか。

あなたはいつになったら故郷に帰る用意ができるのだろう。

それは今日だろうか。

罪は存在しない。

被造物は不変である。

それでもまだ、天国への帰還を咳に延ばしたいのだろうか。

ああ、聖なる神の子よ、

いったいいつまで、あなたはそれを続けたいのだろう。

(5:1-8)