喜びと感謝
いつまでも「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」の夢を握りしめておくのをやめないでいるのは、この夢(幻想)が往古から続き、あまりにも馴染み深く、疑うことも忘れてしまっているから。 時間と空間を捏造し、その中で「罪悪」「恐怖」「孤独」、そして「生死…
神とのひととき。 聖霊とのひととき。 イエスとのひととき。 私とのひととき。 夫とのひととき。 遠くのあの人とのひととき。 全部がひとつ。 「光」の中。 これ以上何を求める必要があるのだろう。 ひとつになるとこんなにも安らかなのに、何を怖がっていた…
「奇跡講座」は「神の子」への自覚を取り戻させてくれた。 見ていた混乱と矛盾と恐ろしい世界から、目を離しても何の問題もないということを辛抱強く無理強いすることなく伝え続けてくれた。 怖がっているときも、ずっとじっと待っていてくれた。 大丈夫だと…
砂となって風に飛ばされるこの世界を握りしめていたのは「罪悪」の心でした。 「罪」にふさわしい生き方をしていたのです。 そしてその「罪」は自分で捏造したのでした。 誰一人としてこの夢から覚めない人はいません。 私たちは皆、この悪夢を後にします。 …
自我のフィルターを通さなければ、全部、「愛」。 攻撃も泣き叫びも、全部、「愛」。 全部が純粋な空間に溶けていく。 私たちすべてが「純粋な空間」それそのものなのだ。 そのことを喜ぼう。 喜ぶことを許可しょう。 称えよう。 称えることを許可しょう。 …
この世界は赦しを練習する場所。 その赦しとは、訂正ということ。 間違っていたことをただ間違っていたと認めるだけ。 そして実在そのものは全く穢されてはいない。 ただ忘れ去られていただけ。 犠牲と期待という自我の泣き叫びをただ見よう。 そして、実在…
私は悪くない。 被害を被ったのだと言い張り、寄せ付けようとしなかった人々。 どうしても許せないし、どうせ許してくれない。 この思いの数々を全部全部、内なる教師に差し出した。 ただ瞬時に「光」がそれを溶かしてくれる。 私は何もしなくてよかった。 …
わたしはあなたが真のあなたであることに氣づいています。 そして、そこはわたしと同じでつながっていて分かれてはいません。 神の中で休らっているのです。 わたしもそうなのだから、あなたもそうです。 わたしはわたしのこともあなたのことも愛の中のみで…
罪は存在しないと教える。 そして、罪から生じるに違いないとあなたが信じている一切は、原因がないので決して起こることはないと教える。 自分が神の子を悪魔にしてしまったという信念をいつまでも大切にしていないで、開かれた心で贖罪を受け入れなさい。 …
ここにいる私の機能は、私が犯したすべての誤りについて、世界を赦すことである。 そのようにして、全世界とともに、私がそれらの誤りから解放されるからである。 (レッスン115 1:2~3) ・・・・・ 自分の全部と、ありとあらゆる人の全部と、この世…
目を閉じて、静かにすれば、もうすでに何者だったのかを思い出す。 そこにいようとしないのは「自我」だけ。 静けさを怖がり、大声でわめき散らそうとする。 そんな衝動そのものをただ優しく促し、「愛に包まれるのが怖かったんだね」と抱きしめる。 そうし…
自我という思考は、ずっと私を混乱させ続けてきた。 欠乏という思考は、ずっと私を外につなぎ止め、内側に向かないようにしてきた。 「静けさ」とは。その思考から解放される、ということ。 その「静けさ」というそのものが「豊さ」という恩寵そのものなのだ…
「幸せ」が自分の心の中にあって、それをただ眠らせていただけで、その目覚めにだけ意識を向けていくことだけでいいのだと氣づくまでは、 なにかしら、「外」をキョロキョロと探したりして、氣を散らせてしまう。 「奇跡講座」は、ただ素直に取り組むだけで…
「奇跡」の瞬間、という真実の幸せにふれるとき、その瞬間を受け入れる心の準備が十分でないときは、その幸せ感を、すぐ打ち消すように心が働いてしまう。 「こんなに上手くいくはずがない」 「どうせすぐ戻る」 「こんな幸せな感覚になるなんておかしい」 …
過ちを犯したけど、それは訂正するだけでいいのだということを認めるのに随分と時間がかかりましたが、なぜ随分かかったのかというと、自分のことを「分離」した一人だと思い込んでいたからなのです。 もし、コースが述べているように、私は私個人ではなく、…