2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧
「コース」に出会うまでは「自我」をどう扱わなければならないか?を真に理解できていなかったから、 なだめたり、すかしたり、褒めたり、けなしたり、いなしたり、受け入れたり、拒絶したり、おもねったり、・・・・・・。 本当に長い事、「自我」を上げた…
「不足している」という自我の主張。 その反応や衝撃や激情的な感覚を持っていることが当たり前だった。 そして、「コース」にて正気の目を取り戻したら、 当たり前だと思い込もうとしていたんだと氣がついて、 「不足ごっこ」をそっと手離した。 それと入れ…
奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、 心身を自分と思い、 人との違いを見つけ、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考の働き。 そして、悩みと苦しみと比較の中に入り込み、本当の…
私たちの「本当の姿」を受け入れられたら、 それ以外の姿はもう見えないのと同じに。 夢と同じでただ過ぎていく。 それでも、まだ、しばらくはこれまでの長年の「自我」での反応で、 見えてないものとして見過ごせないだろうけど、 そんなときは、立ち止まり…
「思考」自体は不確かなもの。 あれは良い、あれは良くない・・・、あれは正しい、あれは間違っている・・・、 あれは美しくて、あれは汚い、あれは優れていて、あれは劣っている・・・・、 それぞれの「解釈」が飛び交っている。 それぞれの「解釈」の違い…
内側の「光」をためらわない、ということ。 外側のさまざまな「基準」や「条件」や「意味」、「価値」をそっと横眼に退けて、 無条件に湧きあがる喜びに素直でいるということ。 もし、「光」をためらっているのなら、 それは外側の「基準」「条件」「意味」…
「今」以外の居場所はどこにもないのに、 頭の中に入って色んな所に逃げようとする。 「今」という純粋な意識だけが本物。 それ以外は妄想、幻。 妄想や幻は何の力もないので、それはそれで抵抗する必要もない。 感情が揺さぶられ、一時的に魅惑的に思えたり…
純粋な空間。 何も塗られていないキャンバス。 スクリーン自体。 こちらが「生命」で「リアル」。 その中で蠢いて、変わりゆくカタチのように見えている方は、 消えていくもの。 消えていくものということは消えているものということで「無」。 見ている側と…
私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5) 「聖性」だけ…
正しさで生きてると、素直さが引っ込んでしまい、素直や単純さや純粋さを出すことを恥ずかしく感じるようになる。そうすると、「感情」が抑圧される。素直に喜ぶ。単純に喜ぶ。純粋に喜ぶ。これは「正しさ」を主張してる間は不要だし、感じられなくなる。「…
私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。 ・・・・・ 攻撃的な考えってなんだろう?と考えると、 「違い」を見つけて、 良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、わかるとかわからないとかって裁いてること。 「違い」を見ることが…
私は、何が何のためにあるのかを知らない。 その無防備さを練習したい。 すぐに「あ、それ知ってる」「あ、それはこうだよ~!」などと言い張るのではなく、 「知らない」のまま、「わからない」まま、を楽しみたい。 純粋な空間に甘えたまんま、ゆだねたま…
まさか、当たり前に「見ている」と思っていたのに、 全部が「私的」な幻想だったなんて! でも、本当にそうでした。 夫と関わるとき、子供と関わるとき、友達と関わるとき、お客様と関わるとき、 ありとあらゆる関係性の中で、 「自我の目」で見るときと、 …