「不足している」という自我の主張。
その反応や衝撃や激情的な感覚を持っていることが当たり前だった。
そして、「コース」にて正気の目を取り戻したら、
当たり前だと思い込もうとしていたんだと氣がついて、
「不足ごっこ」をそっと手離した。
それと入れ替わって満ち足りる。
そこには思考が入り込む余地などない。
「今」というリアリティそのもので満ちている。
讃える、賛美する、祝福する。
それだけが私たちの機能(はたらき)なのだ。
これを認められるようになったこと。
感謝で心が打ち震える。
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ワークブック レッスン65
私の機能は、神が私に与えたものだけである。
目的のように思えている幻想が、真理と取り替えられるようにしたい、という感覚を表現するようにする。(6:5)
それを受け入れれば葛藤が今を限りにきっぱりと解決するので、安堵感がもたらされるということ。そして、救済を望まない愚かな考えが自分の中にあっても、自分は本当はどれほど救済を望んでいるか、など。(7:1)
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