奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、
心身を自分と思い、
人との違いを見つけ、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考の働き。
そして、悩みと苦しみと比較の中に入り込み、本当の自分から気を反らし続けること。
心身は個別なので、「違い」を見つけずにはいられない。
「違い」を危険と見なしたり、
「違い」を欠乏の材料にする。
だけど、心身を含めた外の世界は「不確かさ」でできている。
だから、「不確か」な世界を嘆いたり、「不確か」な世界で悩むことは無駄なこと。
その「誘惑」からほんの少しでいいので距離を置き、
静かにして、
内側に心を向けて、
目を閉じて、
「確かさ」の中へ入っていこう。
私が自分の機能を忘れずにいられますように。
私が自分で作り出した機能を、神から与えられた機能の代替としませんように。
私が赦し、幸せでいられますように。
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ワークブック レッスン64
私が自分の機能(はたらき)を忘れずにいられますように。
聖霊にとって世界とは、あなたが自分の罪だと思っているものについて自分を赦すことを学ぶ場所である。このように知覚されれば、肉体の目には誘惑と映っていたものが、そこに救済を見る霊的な認識をもたらすものとなる。(2:3.4)
ここ数日間のレッスンを見直してみると、世界におけるあなたの機能(はたらき)は世の光となることであり、それは神からあなたに与えられた機能だということがわかる。自我の傲慢さだけがこのことに疑問を抱かせ、自我の怖れだけが神ご自身から与えられた任務に自分はふさわしくないと思わせる。(3:1.2)
形の複雑さが内容の複雑さを意味するわけではない。地上における決断で、この単純な一つの選択をその内容としていないものはない。これが、聖霊の見ている唯一の選択である。したがって、これだけが存在する唯一の選択である。(5:7~10)
私が自分の機能を忘れずにいられますように。
私が自分で作り出した機能を、神から与えられた機能の代替としませんように。
私が赦し、幸せでいられますように。 (6:2~4)
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