【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

今日のつぶやき

茶道とか、いろいろ・・・

茶道を習って、気づいて、再確信し、さらに日常に還元したことは、すべてを「同じ」に扱う、ということでした。 所作、態度において、上げも下げもしない、優劣つけない、”私情”のない姿勢。 すべて「対等」、なぜなら、その出どころは「実相」という源泉だ…

お茶が好き

今、「奇跡講座」の”メモ”は止まっちゃってます・・・。 なんかもう、充分すぎて、なんの必要もわいてこない感じです。 ただ、お茶を飲むひとときでも、完全さに完結しちゃう。 利休さんが、茶道をどんどん簡素化していった感覚がわかるような気がします。 …

防衛と緊張はセット(W レッスン148)

ずっと緊張していただけだったんだなぁ~。 思考を張り巡らせて、計算ばかり。 「防衛」のために五感を使うから、結局「見る」ところも緊張を生じされるところばかりを見ている。 そしてだからこそさらに緊張する。 緊張していると、単純に苦しい。 身体はこ…

サウナでは整わない(W レッスン146)

神が創造したままの私は、自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放ちたい。世界が実在しないからこそ私は実在するのであり、私は自分自身の実相を知りたいのだから。 (L 132 15:2.3) 「肉体」はコミュニケーションに使われるだ…

「全一」という働き(W レッスン90) 

自分が「自我」だと思い込んでいる間は、「問題」が終わることはない。 「問題」は「自我」の特徴そのものだから。 解決されたと思ったら次の問題を浮上させるのが「自我」の働きだから。 この終わらない葛藤のループをただ静かに見つめよう。 「問題」だと…

今更、受け取れないなどと卑屈になりません(W レッスン89) 

自我という無意識状態で長い事生きてきたので、そんな過去を思い返すと恥ずかしい。 責めそうになったり、後悔しそうになるけど、それもただ直視して、あとは聖霊にお任せする。 「あんなに間違ったことしちゃった」 「ひどい状態だった」 「正気じゃなかっ…

透明な心(W レッスン88) 

透明な心は自我を嫌がりもしないし、信じもしないし、責めもしないし、避けもしない。 自我は現れては消えていくもの。 それを包む透明な心は祝福そのもの。 沈黙だけが真実。 ・・・・・ ワークブック レッスン88 復習 1・(75)光は訪れている。 2・…

「今」と仲良く (W レッスン87) 

「過去」「未来」に思いをはせるということは、「今」を無視したり、敵として戦っていることなのだと氣づいた。 本当にまさかそうだったなんて、唖然だけど、しっくりする。 心が「過去」や「未来」を彷徨っているときは、嫌な感じか、ふわふわとした不確か…

無意識でないことの心地よさ(W レッスン86)

心が純粋な空間に明け渡されていると、すべてをクリアに見渡せる。 光があるのみだと感じられる。 光以外のものは何もない。 無意識のときは光以外のものが見える。 無意識の間は幻想の中に迷い込んでいる。 無意識の間はジャッジと不平不満で埋め尽くされる…

(W レッスン85)

世界には私しかいない。私の作った世界を傍に置きたい。今日、幻想の全部を癒す機会に出来ますように。ワークブック レッスン85 復習 1・(69)私の不満が、私の中の世の光を隠している。 2・(70)私の救済は私の中から訪れる。 わたしがこれを、視…

思考をそのままに、ただ見る (W レッスン84) 

心にスペースが空くと、そこを何かしらで埋めようとする。 そしてそれは、「不平や不満」、特別性やそれを脅かす不安なこと、など。 心のスペースを埋めようとする瞬間をじっと見守る。 じっと見守られているとそのうち消える。 そうして、スペースの心地よ…

お茶碗を洗う(W レッスン83)

「退屈」さや、「不感症」さは、自我の働き。その働き側に居ることを自覚して、その働きにくっついている身体感覚を感じる。すると、じんわりと溶けていく。「退屈」「不感症」の奥に、たおやかな愛がある。・・・・・ワークブック レッスン83 復習 1・(…

不平不満、拗ねた心から解放されることへの嬉しさ(W レッスン78)

「奇跡講座」を読み進めると、不平不満のトリックが明らかになっていく。 拗ねた心や欠乏感、恐れと罪意識が「本当の姿」を覆い隠すための反応だったことに氣がつく。 不満をもって見ていた人達や出来事は、「私の心の中」のストーリーのシナリオとして現れ…

何も求めていなかったことに自我は動揺する(W レッスン77)

【目を閉じて、自分は正当に自分に属するものだけを求めているのだと思い起こす。それとともに、奇跡は決してひとりから取り上げられてもうひとりに与えられるようなものではないこと、また、あなたが自分の権利を主張するとき、すべての者たちの権利も擁護…

数々の誤解とひとつの真実 (W レッスン76)

あらゆるすべての体調の不調や病気の原因は、 「肉体が苦しむ理由はただ一つ、心が心自体の犠牲になっていることを心に気づかせないためである。」 これまで、たくさんの健康法を試し、勉強もたくさんして資格も取りました。 けれども、本当は「身体に答えは…

ローズローズローズ(W レッスン75)

ふいに込み上げるなんとも言えない高揚感。「何も起こっていなかった」という自由と歓び。花が咲き溢れるように心が満ちる。外側で何が起こっているように見えていても、何に対しても分け隔てることなく、全てにこのまま、歓びのままで、関わり合う。光だけ…

不満は自分を喜ばせないための時間稼ぎでした(W レッスン74) 

目を閉じると安らかさ以外には何もない。 だからこそ、それが怖いのだなぁと思う。 今以上に満たされるなんてあり得ないと抵抗している。 だからこそ、ゆっくりと無理せずに、受け入れていく。 そうして、ようやく、その準備が整ったように思う。 思う存分、…

映像に夢中になっていたけど(W レッスン73) 

身体感覚に見合った映像を作り出してきたということが体験されていってます。 映像に夢中になっていたけど、映像になんの力もなくて、 すべての映像が、ただ消えていくだけのものでしかなかったのですね、本当に。 どんなに重要そうなものでも、 どんなに悲…

肉体をもたないことが、私たちの自然な状態である(W レッスン72)

身体のあちこちが不調だったり、痛かったり、スタイルが良くなかったり、歳を取ってきたり・・・。身体に関しての恨めしい感覚を長い間持っていた。 まさか、この根強い不満が、「心」を見直すことで、なくなっていくことが可能だなんて思っていなかった。 …

自分で解決する必要はなくて、自分の中に解決があると知ること(W レッスン70) 

「私の救済は私の中から訪れる」 「問題」を解決しょうとしてしまうけど、 そもそも「問題」などなかったのです。 「問題」がある!と見ているのが「私」ではなかった、と見抜くことだけなのです。 「問題」だと言い張っているのは「分離意識」なのです。 そ…

「純粋な空間」というわたし (W レッスン69) 

「純粋な空間」がわたしであると受け入れはじめると、「透明」になったような軽さを感じる。昔、引きずらないといけないような身体の重さ、だるさがあったのに、あれは何だったのだろう・・・。 いかに「個人」であるか?の方にメリットを信じていた間は、「…

思考は”勘違い”製造機(W レッスン68) 

小さなころは、人間のイヤなところ、ズルいところ、汚いところばかり見てきて、 ほぼ楽しい思い出がなくて、本当に絶望していたし、家族も嫌いでしたのでひとりになりたかったし、こんな場所から逃げ出したい、と思っていました。 見事にガッカリが連続の人…

無念夢想(W レッスン67)

「自我」の作った世界が”無念夢想の時間”だとは完全には思いきれなかったけど、 「自我」の世界を、ちゃんと真っ直ぐ見れば見るほど、 見たくないものもちゃんと見れば見るほど、 そこには何もないんだって明らかになっていった。 私自身もなかった。 「主体…

幸せな働き(W レッスン66)

「コース」に出会うまでは「自我」をどう扱わなければならないか?を真に理解できていなかったから、 なだめたり、すかしたり、褒めたり、けなしたり、いなしたり、受け入れたり、拒絶したり、おもねったり、・・・・・・。 本当に長い事、「自我」を上げた…

唯一の働きは祝福 (W レッスン65) 

「不足している」という自我の主張。 その反応や衝撃や激情的な感覚を持っていることが当たり前だった。 そして、「コース」にて正気の目を取り戻したら、 当たり前だと思い込もうとしていたんだと氣がついて、 「不足ごっこ」をそっと手離した。 それと入れ…

悩みは自我の捏造 (W レッスン64) 

奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、 心身を自分と思い、 人との違いを見つけ、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考の働き。 そして、悩みと苦しみと比較の中に入り込み、本当の…

日常のすべてが癒しになる (W レッスン63) 

私たちの「本当の姿」を受け入れられたら、 それ以外の姿はもう見えないのと同じに。 夢と同じでただ過ぎていく。 それでも、まだ、しばらくはこれまでの長年の「自我」での反応で、 見えてないものとして見過ごせないだろうけど、 そんなときは、立ち止まり…

ゆるすとかゆるさないなどの「思考」そのものが、何でもないもの (W レッスン62)

「思考」自体は不確かなもの。 あれは良い、あれは良くない・・・、あれは正しい、あれは間違っている・・・、 あれは美しくて、あれは汚い、あれは優れていて、あれは劣っている・・・・、 それぞれの「解釈」が飛び交っている。 それぞれの「解釈」の違い…

内側への無防備さ (W レッスン61) 

内側の「光」をためらわない、ということ。 外側のさまざまな「基準」や「条件」や「意味」、「価値」をそっと横眼に退けて、 無条件に湧きあがる喜びに素直でいるということ。 もし、「光」をためらっているのなら、 それは外側の「基準」「条件」「意味」…

勇気だけ (W レッスン58) 

私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5) 「聖性」だけ…