【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものが私たちでした。

サウナでは整わない(W レッスン146)

神が創造したままの私は、自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放ちたい。世界が実在しないからこそ私は実在するのであり、私は自分自身の実相を知りたいのだから。

(L 132 15:2.3)

 

「肉体」はコミュニケーションに使われるだけでいい。

そう思うとなんと気楽なことだろうか。

最初はピンとこなかったし、見た目など表面ばかりに氣が取られていた。

これまで、どれだけ緊張を与えて酷使してきたのだろうか。

ボディちゃん、ごめんなさい・・・。

 

昔はサウナに入りまくったなぁ・・・。

痩せようと思っていたし、スッキリしたかったから。

でもいっこうに痩せなかったし、スッキリするのも一瞬だった(笑)。

 

肉体労働するな、ということではないし、身体を使うな、ということではない。

ただ「目的」が間違っていたのだ。

肉体を、この世界で何かを「獲得」ための武器にしていたのだ。

 

けど、本当にどうでもいいことだった。

「愛」をわかち合う、「愛」を共鳴し合う、「愛」を祝福し合うだけなのだ。

だから、実際、誰とも会う必要すらない。

「肉体」はそういう意味では、使われることもないのだ。

 

でも、そうはいっても、まだ肉体を信じているので、消えることはないので、消えない間は、「肉体」は「愛」を賛美するための楽器のように・・。

それでも「肉体」を楽しむのも少し違う氣がする。

もうすでに「喜び」なんだから、あえて楽しむために「肉体」を使うのは、余計なことなんだろう、自我の働きなんだろうな。

 

気楽になる。

自由だなぁ。

優しく使おう。

 

・・・・

ワークブック

復習

レッスン146

 

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

 

(131)  真理に到達しょうとして、それに失敗する者はいない。

(132)  これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。