神が創造したままの私は、自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放ちたい。世界が実在しないからこそ私は実在するのであり、私は自分自身の実相を知りたいのだから。
(L 132 15:2.3)
「肉体」はコミュニケーションに使われるだけでいい。
そう思うとなんと気楽なことだろうか。
最初はピンとこなかったし、見た目など表面ばかりに氣が取られていた。
これまで、どれだけ緊張を与えて酷使してきたのだろうか。
ボディちゃん、ごめんなさい・・・。
昔はサウナに入りまくったなぁ・・・。
痩せようと思っていたし、スッキリしたかったから。
でもいっこうに痩せなかったし、スッキリするのも一瞬だった(笑)。
肉体労働するな、ということではないし、身体を使うな、ということではない。
ただ「目的」が間違っていたのだ。
肉体を、この世界で何かを「獲得」ための武器にしていたのだ。
けど、本当にどうでもいいことだった。
「愛」をわかち合う、「愛」を共鳴し合う、「愛」を祝福し合うだけなのだ。
だから、実際、誰とも会う必要すらない。
「肉体」はそういう意味では、使われることもないのだ。
でも、そうはいっても、まだ肉体を信じているので、消えることはないので、消えない間は、「肉体」は「愛」を賛美するための楽器のように・・。
それでも「肉体」を楽しむのも少し違う氣がする。
もうすでに「喜び」なんだから、あえて楽しむために「肉体」を使うのは、余計なことなんだろう、自我の働きなんだろうな。
気楽になる。
自由だなぁ。
優しく使おう。
・・・・
ワークブック
復習
レッスン146
私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。
(131) 真理に到達しょうとして、それに失敗する者はいない。
(132) これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。