2021-01-01から1年間の記事一覧
「コース」に出会うまでは「自我」をどう扱わなければならないか?を真に理解できていなかったから、 なだめたり、すかしたり、褒めたり、けなしたり、いなしたり、受け入れたり、拒絶したり、おもねったり、・・・・・・。 本当に長い事、「自我」を上げた…
「不足している」という自我の主張。 その反応や衝撃や激情的な感覚を持っていることが当たり前だった。 そして、「コース」にて正気の目を取り戻したら、 当たり前だと思い込もうとしていたんだと氣がついて、 「不足ごっこ」をそっと手離した。 それと入れ…
奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、 心身を自分と思い、 人との違いを見つけ、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考の働き。 そして、悩みと苦しみと比較の中に入り込み、本当の…
私たちの「本当の姿」を受け入れられたら、 それ以外の姿はもう見えないのと同じに。 夢と同じでただ過ぎていく。 それでも、まだ、しばらくはこれまでの長年の「自我」での反応で、 見えてないものとして見過ごせないだろうけど、 そんなときは、立ち止まり…
「思考」自体は不確かなもの。 あれは良い、あれは良くない・・・、あれは正しい、あれは間違っている・・・、 あれは美しくて、あれは汚い、あれは優れていて、あれは劣っている・・・・、 それぞれの「解釈」が飛び交っている。 それぞれの「解釈」の違い…
内側の「光」をためらわない、ということ。 外側のさまざまな「基準」や「条件」や「意味」、「価値」をそっと横眼に退けて、 無条件に湧きあがる喜びに素直でいるということ。 もし、「光」をためらっているのなら、 それは外側の「基準」「条件」「意味」…
「今」以外の居場所はどこにもないのに、 頭の中に入って色んな所に逃げようとする。 「今」という純粋な意識だけが本物。 それ以外は妄想、幻。 妄想や幻は何の力もないので、それはそれで抵抗する必要もない。 感情が揺さぶられ、一時的に魅惑的に思えたり…
純粋な空間。 何も塗られていないキャンバス。 スクリーン自体。 こちらが「生命」で「リアル」。 その中で蠢いて、変わりゆくカタチのように見えている方は、 消えていくもの。 消えていくものということは消えているものということで「無」。 見ている側と…
私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5) 「聖性」だけ…
正しさで生きてると、素直さが引っ込んでしまい、素直や単純さや純粋さを出すことを恥ずかしく感じるようになる。そうすると、「感情」が抑圧される。素直に喜ぶ。単純に喜ぶ。純粋に喜ぶ。これは「正しさ」を主張してる間は不要だし、感じられなくなる。「…
私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。 ・・・・・ 攻撃的な考えってなんだろう?と考えると、 「違い」を見つけて、 良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、わかるとかわからないとかって裁いてること。 「違い」を見ることが…
私は、何が何のためにあるのかを知らない。 その無防備さを練習したい。 すぐに「あ、それ知ってる」「あ、それはこうだよ~!」などと言い張るのではなく、 「知らない」のまま、「わからない」まま、を楽しみたい。 純粋な空間に甘えたまんま、ゆだねたま…
まさか、当たり前に「見ている」と思っていたのに、 全部が「私的」な幻想だったなんて! でも、本当にそうでした。 夫と関わるとき、子供と関わるとき、友達と関わるとき、お客様と関わるとき、 ありとあらゆる関係性の中で、 「自我の目」で見るときと、 …
不安定な世界はいつも心を不安定にする。 だけど、本当は「逆」で、 不安定な心が世界を不安定に見る。 「五感」を通した目は「防衛の機能」だから、 不確かさを映し出し続ける。 まずは、 目を瞑り、 内側の中心にチューニングする。 頭でイメージするので…
”私の中の欠如と哀れさと裁きの「私的な」考え”。 このような「五感」を使った「目」で見れば、 「欠如」「哀れさ」「裁き」を見るしかないのです。 そんな不確かさを世界に見るのはもうやめたいと決めるだけなのです。 危険だと思い込んでいる「それら」は”…
心の中にある「確かさ」という"聖霊"の働き。 その働きに任せているだけでよかったのです。 ただ、これまでは、どうしたって、この"働き"とチューニングが合わなかった。 なぜなら、自分で、自力で、どうにかしようとしてたから。 自分で、我流で、どうにか…
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」 ・・・・・・・ はてなblogは10周年だそうです。 はてなblogさん、お世話になってます、ありがとうございます。 こういう企画の記事に参加するのは初めての挑戦です。 「10年で変わ…
心理学や化学や生理学、自己啓発でも、随分と謳われるようになってきた「潜在意識」。 ヒプノセラピーやゲシュタルト療法やカウンセリングにて、 心身のリラックスを促し、ゆだねる感覚が生じることで、「抑圧されてきた記憶と信念」を思い出したり、引き出…
「これさえあれば、幸せになれる」 「これがあれば、完璧」 「これを習得すれば、満たされる」 という思いは、 「今は幸せじゃない」「今は完璧じゃない」「今は満たされていない」という自分を延々と信じて、「欠乏」という誤った場所に自分を置いているの…
心の構造の学びを始めて、それが納得できるようになってから、 私の、夫に対する関わり方、関係は変化していきました。 心の学びを始めるまでは、些細なことですれ違っては「あー、この結婚は間違っていたかも」と嘆いたり「いつお別れするかわからないから…
「正しい世界」を求めると、どちらが正しいか?とか、何が正しいか?とか、ずっと永遠に議論が終わらないですね。 この世界のしくみの中で生きるには、「正しさ」を盾にして勝ち負けに使い、「正しい」方が有利だったりするから、「正しさ」の追求という闘争…
【奇跡のコース】で述べられている、 「自我の見方」から、「聖霊の見方」へ変えるということを、 「思考」で捉えようとすると、わけがわからなくなってしまいます。 「思考」って、自我の働きだから。 自我は自我を温存させたいから、「思考」を働かせて、…
いや〜本当に、これまでの自分って、 「いい人」でいなきゃ、「正しい人」にならなきゃ、「頑張っている人」だと思われなきゃという感じで必死でした。 「いい人」「正しい人」「頑張っている人」じゃないと認められない、社会的にも死活問題、そして、愛さ…
「私はみんなと違うのよ」という特別意識。 そして「特別意識」とは「個人」ということ。 私は特に「精神世界」や「心理」の追求において、この気持ちが強かったです。 幼い頃から「なぜ生まれてきたのか?」という疑問が人一倍あって、だからこそ、誰よりも…
私という「個人」があるということに、何の疑問も持たずに当たり前に過ごしている間は、 「個人」がある、ことに疑問を持つ方がおかしいと思いますし、 そもそもそんなこと考えていなかったですし、なんだか雲を掴むようなお話でした、。 そして、 生きてい…
「わたし」はこういう考えで、これが好きで、これは気に入らなくて。 「あなた」はそういう考えで、あれが好きで、あれは気に入らなくて。 というふうに、「個別」の主張で、 どっちかが正しくてどっちかが間違いで、 どっちかが得してどっちかが損して、 ど…
「今」は脅かされていない。 過去も未来も「今」には触れられない。 「今」は始まりであり終わり。 誰も何も「今」を遮らない。 「今」に落ちていこう。 どんどん深く どんどん深く 「今」は鮮やか。 「今」は生命。
私の中の”もう一人の私”とどのくらい真摯に関わってあげられているか? この関わり方の深さが「浄化」のポイントなんだとつくづく思っています。 「浄化」=「”愛”を阻む障壁が取り去られた状態」としての表現です。 もう一人の私はどんな様子なのかな? 悲…
これまでの人生で、たくさんの人と出会いがあり、そしてお別れがありました。 「奇跡のコース」のlessonが深まることで「心」が静まり、 これまでの出会いと別れの”あり方”が理解できていきました。 「心」に何が起きていたのか? 混乱状態で生きていた間の…