私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。
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攻撃的な考えってなんだろう?と考えると、
「違い」を見つけて、
良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、わかるとかわからないとかって裁いてること。
「違い」を見ることが「攻撃」なんだなぁと。
あらゆるものを「同じ」と見る。
そうしたら、裁く必要がなくなる。
「自我」にとっては刺激がなくなるから、つまらなく感じたりして、都合が悪いけど。
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私の心の中、分離と攻撃という狂った考えの背後には、すべてが永遠にひとつであるという智識が存在する。(5:2)
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ひとたび、自分の「思い」を脇に退けて、「永遠」の方に意識を向ければ、
自我が夢中になっていた「違い」は色あせていく。
「違い」は必要なくなって、
「同じ」の中に満ち満ちていく。
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ワークブック レッスン56
復習
1・(26)私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。
2・(27)何にもまして、私は真にみたい。
3・(28)何にもまして、私はものごとをこれまでとは違った見方で見たい。
4・(29)私が見ているあらゆるものの中に、神がいる。
5・(30)私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである。
私の見ている世界は、私が作り出した自分像の恐ろしい性質を証言している。私が誰であるかを思い出したければ、この自分像を手放すことが必須である。
それが真理と置き換えられるとき、心眼は必ず私に与えられるだろう。そしてこの心眼を通して、私は世界と私自身を慈しみと愛を抱いて眺めるだろう。(2:3~6)
私のすべての狂った願望の向こうに、父の意志とひとつになった私の意志がある。
神は今も、あらゆるところで、一切のものの中に、常しえに存在する。
そして、神の一部である私たちは、やがてすべての外観を超えたところを見て、それらすべてを超越した真理を認識するだろう。(4:4~6)
そして、神の想念の一部である私は、その想念のほかの部分とひとつであり、神ともひとつである。(5:5)
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