私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5)
「聖性」だけを見る。
「奇跡講座」を始めた最初は、「聖霊」や「聖性」に❔マークがつきましたが、
本当にこれは、「意欲」の問題だったのです。
あるいは「勇気」と言い直してもいいです。
目を瞑り、心に向かうと、
「聖性」だけがあります。
わたしたちには、ただこの「聖性」を認める「勇気」だけが求められています。
ですが、自我にとっては、これが一番ハードルが高いことなのですが・・・。
あぁ、でも、
なんてシンプルで楽ちんなんでしょうか。
この世界を「聖性」のみで見ることができる。
求めていたのは、
この安らかな気持ち。
このホカホカな愛以外、
求めようがなかったのです。
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ワークブック レッスン58
復習
1・(38)私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。
2・(39)私の聖性が世界を祝福する。
3・(40)私の聖性にできないことは何もない。
4・(41)私の聖性が私の救済である。
5・(42)私は神の子として祝福されている。
私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5)
私が自分の聖性を認識するとき、世界の聖性も、誰の目にも見えるように輝きを放つことになる。(2:5)
私の聖性は、その癒しの力において無限である。その救済の力が無限だからである。(3:2)
すべての幻想は、私自身についての誤った考え以外の何だろうか。私の聖性は、私についての真理を断言することによって、それらすべてを無に戻す。(3:4.5)
ひとたび私が聖性を受け入れたなら、私を怖がらせるものは何もない。そして、私が恐れないからこそ、私の理解するところを誰もが必ず共有することになる。この理解は、私のこの世界への神からの贈り物なのだから。(4:4.5)
私のための父の配慮は無限であり、永遠に私とともにある。私は父の子として永遠に祝福されている。(5:7.8)
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