「コース」に出会うまでは「自我」をどう扱わなければならないか?を真に理解できていなかったから、
なだめたり、すかしたり、褒めたり、けなしたり、いなしたり、受け入れたり、拒絶したり、おもねったり、・・・・・・。
本当に長い事、「自我」を上げたり下げたりしながら、
時間と労力とお金を使ってきた。
「コース」に出会って、
やっと、
恐れを恐れのまま、ただ見るだけ。
聖霊の働きに任せるだけ。
と知って、
「自我」を「聖霊」にゆだねたら、
元々、満ちていた、のだという氣づきがあふれた。
それでも、しばらくは「自我」の凄まじい抗議、虚無感、絶望感などの応戦が続く。
だけど、もうそのマヤカシは、何の力もなく、ただ見るだけなのだという「聖霊」の優しいまなざしの姿勢は何一つ変わらない。
一貫した確かさがある。
ありがとう。
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ワークブック レッスン66
私の幸せと私の機能(はたらき)はひとつのものである。
あなたの機能は何なのかという根本的な問題について、自我は常に聖霊と戦っている。それは双方向の戦いではない。自我は攻撃するが、聖霊はそれに応戦しない。
聖霊はあなたの機能は何であるかを知っている。
聖霊はそれがすなわちあなたの幸せであることを知っている。(2:1~6)
今日は、この完全に無意味な戦いを素通りして、あなたの機能についての真理に到達することを試みる。それが何であるかといった愚かな議論には加わらない。
幸せとは何かを定義したり、それを獲得するための手段を究明するといったことに、無闇にのめり込むことはしない。
自我が真理を攻撃するのに耳を傾けて、自我を甘やかすこともしない。
私たちはただ、何が真理であるかを見い出せることを喜ぶ。(3:1~5)
あなたは狂気に耳を傾けるか、真理を聞くかのどちらかである。(10:1)
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