「純粋な空間」がわたしであると受け入れはじめると、「透明」になったような軽さを感じる。昔、引きずらないといけないような身体の重さ、だるさがあったのに、あれは何だったのだろう・・・。
いかに「個人」であるか?の方にメリットを信じていた間は、「純粋な空間」であることに何の興味もなかったけど、「個人」であることの不自由さ、不自然さ、苦しさ、が真からわかり始める度合いだけ、「純粋な空間」の心地よさが流れ込んできた。
そして、それはあれこれ努力するようなことではなく、認めるだけでいいというシンプルさを受け入れるだけだった。
「奇跡講座」は延々と、私たちが何者であるか?が述べられていて、その言葉に心を開いていけば、いつの間にか、「純粋な空間」が自分であるということを受け入れる意欲を育んでくれた。
「奇跡講座」の文章は時に複雑に感じ、読み終わるのが大変だったけど、大変だっただけで、ある意味、ほんのわずかな努力でしかない。
このほんのわずかな努力で、天と地が引っくり返るようなアイデンティティのシフトが起こる。
これが奇跡でなくてなんなのだろう。
「純粋な空間」であることがわかると、あらためて、この世界と身体を新鮮で真っ新な気持ちで関っていく事ができる。
ずっと不満を抱え、ひねくれて、拗ねていた「自我」はわきで静かにたたずんでいる。
そして「今ここ」というフレッシュな瞬間、純粋さであふれ、歓びであふれている!
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ワークブック レッスン69
私の不満が、私の中にある世の光を隠している。
あなたが演習を正しく行っているならば、持ち上げられて、前方に運ばれていくような感覚を感じ始めるだろう。あなたのわずかな努力と小さな決意が、あなたを助ける全宇宙の力を呼び出し、神ご自身があなたを闇からすくい上げて、光の中に置いてくれるだろう。あなたは神の意志の通りのことをしている。あなたの意志は神の意志であるから、あなたが失敗することはありえない。(7:1~4)
あなたが雲の中を通り抜け、光に向かって進もうとするとき、この確信を心の中に保つようにしなさい。あなたはついに自分の意志を神の意志に合一させているのだということを覚えておくように努める。自分が神と共に行うことは必ず成功するという思いを、明確に心の中に保つ努力をする。そして神の意志とあなたの意志が行われるように、神の力があなたの中であなたを通して働くに任せなさい。(8:3~6)
私の不満は私の中にある世の光を隠してしまう。
自分で隠してしまったものを私は見ることはできない。
けれども、私の救済と世界の救済のために、私はそれが私の前に明らかにされるようにしたい。(9:4~6)
私がこの不満を抱くなら、世の光は私の前から隠れてしまうだろう。(9:8)
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