過ちを犯したけど、それは訂正するだけでいいのだということを認めるのに随分と時間がかかりましたが、なぜ随分かかったのかというと、自分のことを「分離」した一人だと思い込んでいたからなのです。
もし、コースが述べているように、私は私個人ではなく、私は私たち全体なのであれば、過ちは過ちではなく、なんの解釈も起こらず、ただ看過されていくものでしかないのです。
私が私たち全体なのだ、ということを思い出し、確信できれば、この世界を分離した目でみることができなくなっていきますので、もうそこに、「思考」という裁きや、解釈は無いのです。
一なることは、完全なることで、自由なのです。
それは創造されていて、愛そのものなのです。
この氣づきに至るために必要なのは、罪だという思い込みで湧き上がっている恐怖心を抑圧せずに、つぶさに明け渡すだけなのです。
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ワークブック レッスン101
神の意志が私に望むものは完全な幸せである。
今日も引き続き、幸せについて学んでゆく。
これは、救済の意味を理解するための鍵となる概念である。
あなたはいまだに、救済は、あなたの「罪」のつぐないとして苦しみを要求すると信じている。
それは事実ではない。
しかし、罪が実在し神の子が罪を犯すことができると信じているうちは、あなたはどうしてもそれが事実だと考えてしまう。
(1:1~5)
あなたには今日の練習時間が必要である。
この演習は、罪は実在しないと教える。
そして、罪から生じるに違いないとあなたが信じている一切は、原因がないので決して起こることはないと教える。
自分が神の子を悪魔にしてしまったという信念をいつまでも大切にしていないで、開かれた心で贖罪を受け入れなさい。
罪は存在していない。
この考えを今日はできるだけ何度も練習する。(5:1~5)
神の意志があなたに望むのは完全な幸せである。
なぜなら、罪は存在せず、苦しみには原因がないからである。
喜びこそが公正なものであり、苦痛はあなたが自分を誤解したしるしにほかならない。神の意志を恐れてはならない。
熱に浮かされた想像の中で罪がもたらしたすべての結果から、神の意志が自分を解放してくれるという確信をもって、神の意志に頼りなさい。
だから次のように言いなさい。
神の意志が私に望むのは完全な幸せである。
罪は存在しない。
罪は結果をもたらさない。
(6:1~7)
罪は実在するという狂った信念であなたが自分に背負わせてきた重荷を取り去るために、喜んで毎時五分間を差し出そう。
今日こそは、狂気から脱出しなさい。
あなたは自由の道を進んでいる。
そして今、今日の概念が、あなたの進歩を速める翼となり、平安が待つゴールへさらに急ぎたくなるような希望をもたらしてくれる。
罪は存在しない。
今日はこのことを思い出し、できるだけたびたび次のように自分に言おう。
神の意志が私に望むのは完全な幸せである。
これが真理である。
なぜなら罪は存在しないからである。
(7:1~7)