私は悪くない。
被害を被ったのだと言い張り、寄せ付けようとしなかった人々。
どうしても許せないし、どうせ許してくれない。
この思いの数々を全部全部、内なる教師に差し出した。
ただ瞬時に「光」がそれを溶かしてくれる。
私は何もしなくてよかった。
ただ打ち明けるのみ。
私の作った闇を、取り去ってくれる。
そして「愛」だけが残った。
それ以外なにもなかった。
・・・・・
レッスン121
赦しが幸せの鍵である。
赦しは習得されるものである。
罪を犯すことのできない心に内在しているものではない。
罪とはあなたが自分自身に教えた概念なので、赦しも、あなたが学ばなければならないものである。
だが、それはあなた自身からではなく、あなたの中の別な自己を代表している内なる教師から学ばなければならない。
その内なる教師を通して、あなたが自分で作り出したと思っている「自己」をどのようにして赦すかを学び、それを消滅させる。
そうして、あなたは自分の心を、あなたの真の自己であり、決して罪を犯すことのないキリストとひとつの状態に戻す。
(6:1~5)
赦そうとしないほかの心の一つひとつがあなたに提供するのは、あなた自身の赦そうとしない心に、自分のその心を赦す方法を教える機会である。
どの心も、あなたを通して地獄から解放されるのを待っており、今ここで、天国を切望してあなたに頼っている。
そうした心は望みを失っているが、あなたがその希望となる。
そしてその心にとって希望になったあなたは、あなた自身の心にとっての希望となる。
赦そうとしない心は、自分が地獄から救われていることを、あなたからの赦しを通して学ばなければならない。
そしてあなたは、救済を教えながら、救済を学ぶだろう。
しかし、あなたが教えることも学ぶことも、どちらもあなたから生じるものではなく、あなたに道を示すために与えられた内なる教師から生じるものである。
(7:1~7)
赦しこそが幸せの鍵である。
私は、自分が死にゆく者、誤りを免れない者、罪深い者だという夢から目覚め、自分が完璧な神の子であるとわかるようになるだろう。
(13:6.7)