【奇跡講座】の気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

(レッスン282)

愛が怖い。

 

今日はここにいよう。

 

怖さの中に入っていこう。

・・・

ワークブック

レッスン282

 

今日、私は愛を恐れない。

 

・・・・・

 

今日、私がこのことさえ悟れば、全世界のために救済が達成されるだろう。

これは、正気を失わず、父であり源である神ご自身に創造されたままの私自身を受け入れるという決断である。

これは、真理が愛の喜びの中で永遠に生きているときに、私は死の夢の中で眠り続けることはしない、という決意である。

これは、神が愛するわが子として創造した自己であり、私の一なるアイデンティティーである存在を、私が認識するという選択である。

 

父よ、あなたの名は愛であり、私の名も同じです。

これが真理です。

真理を別の名で呼ぶことで、真理を変えられるでしょうか。

恐れという名は、単なる間違いです。

今日、私が真理を恐れませんように。

(全文)

私たちはあらゆる苦悩をはるかに超えた存在(レッスン281)

ここまで太鼓判を押してくれているのに、耳を塞いでいたなぁ・・。

 

あまりにも「恐怖」世界に慣れすぎて、「平安」に慣れなさすぎて「平安」が怖かった。

「形」の世界とは「恐怖」を作り続けるもの。

 

だから、「形」が前提だと、「平安」もつかの間なので、「平安」が信じられなかった。

 

だからこそ、そもそもが自由で平安の身なのに、わざわざ自分から鎖をはめる日々。

 

自我の想念がどんなに私を傷つけようとしても、「空間」に放っておかれると消えていく。

 

なので、安心して、そのまんま、明らかにしたまんま、放っておく。

 

「空間」という次元の無い真実と一致する。

 

「空間」が私たち。

 

・・・

ワークブック

レッスン281

 

私の想念以外に、私を傷つけるものはない。

 

・・・・・

父よ、あなたの子は完璧です。

自分が何らかの形で傷ついていると思うとき、それは私が、自分なのかを忘れ、あなたに創造されたままの私であることを忘れているからです。

あなたの想念は私に幸福のみをもたらします。

もし私が悲しんでいたり、傷ついていたり、病気であったりするなら、私はあなたが何を考えておられるかを忘れてしまっているのです。

あなたの想念が属するところ、今も存在しているところに、私の卑小で無意味な概念を置いてしまったのです。

私は自分の考えること以外の何によっても、傷つくことはありえません。

あなたとともに私が思考する想念は、祝福をもたらすのみです。

あなたとともに私が思考する想念だけが真実のものです。

 

私は今日、自分自身を傷つけない。

私はあらゆる苦悩をはるかに超えて存在するからである。

父は私を安全に天国に置き、私を見守っている。

神が愛するものは私の愛するものでもあるのだから、私は神が愛する神の子を攻撃しない。

(全文)

 

・・・

7.聖霊とは何か

 

聖霊とは幻想と真理の間を仲介する。

聖霊が実相と夢の間の隔たりに橋を架けるので、知覚は、神が聖霊に授けた恩寵を介して、知識へと行き着く。

この恩寵は、真理を求めて聖霊に頼るあらゆる者への贈り物として神が聖霊に与えたものである。

聖霊が架ける橋を渡って、すべての夢は真理のもとへ運ばれ、知識の光の前で一掃される。

そこでは、情景も物音も永遠に消え去る。

以前そうしたものが知覚されていた場所で、赦しが静かに知覚を終わらせる。

(1)

 

聖霊の教えがゴールとして設定しているのは、このような夢の終わりのみである。

情景や物音は、恐れを証しするものから愛を証しするものへと、再解釈されなければならない。

これが完全に成し遂げられたときには、学びがもつ唯一の真のゴールが達成されている。

聖霊が知覚している通りの学びの成果へと聖霊によって導かれるとき、学びは、それ自体を超えて進み、永遠の真理へと入れ替わるための手段となるからである。

(2)

 

父がどれほどあなたに自分の無罪性を認識させたいと望んでいるか、あなたが知ってさえいれば、あなたは神の声の訴えを無駄にしようとはしないだろう。

また、自分で作り出した恐ろしい形象や夢のかわりに聖霊から与えられるものに、背を向けようともしないだろう。

あなたが永遠に達成不可能なものを達成しようとして作り出した手段を、聖霊は理解している。

そしてあなたがそれらを聖霊に差し出すなら、聖霊は、あなたが故郷を離れてさすらうために作り出した手段を用いて、あなたの心を真にくつろげるわが家へと戻してくれるだろう。

(3)

 

神により知識の中に置かれている聖霊は、そこからあなたに向かって呼びかけ、あなたが自分の夢を赦し、正気と心の平安を取り戻すようにと促す。

赦しがなければ、あなたの夢はいつまでもあなたを脅かし続けるだろう。

また、夢の終わりを示す父の愛が、すべて思い出されることもないだろう。

(4)

 

父の贈り物を受け入れなさい。

それは、愛がただ愛そのものであるようにという、愛から愛への呼びかけである。

聖霊が神の贈り物であり、それにより神の愛し子に天国の静けさが取り戻される。

神はあなたが完全であることだけを意志しているのに、あなたは神を完成させるという機能を担うことを拒みたいのだろうか。

(5)

 

・・・・・

※2年前のレッスンのつぶやき↓

※※ まだ「自我」側でどうにか理解しようとしていたと思います。

自作自演の憎悪に辟易し、委ねがいまいちわかっていませんでした。

「自我」のストーリーを真に受けていた姿勢でした。

無意識の中身は、思っている以上にとことん「闇」。

凄まじい憎悪。

直視するのが怖すぎて、逃げ回っている。

無自覚で、そんなに自分を追い込んでいる気は全くないし、全く当てはまらないし全然平気だと思い込んでいるけど、よくよく観察すれば、本当に、本当に、全部自分が書いたシナリオ。

自覚し始めると、自分に対する憎悪に本当にビックリする。

自分でかけた呪いなのに、手の施しようがない、救いようがない、自分じゃどうしょうもない、ということにも氣づく。

分離の世界からでは、分離の外の世界はわかるはずがないから。

だから、もうお任せする。手放す。無防備で無邪気でいる。

 

空間に制限は存在しない(レッスン280)

自我の視点であれば、気になってしょうがなかった数々のこと。

 

愚痴が多かった親や、夫の飲酒や、片づけない弟・・・。

 

ズルい人、被害妄想な人、悩んでいる人・・・etc。

 

また、過去の自分、自分の思考、自分の肉体のあれこれ・・・etc.

 

・・・

 

そもそも、それを表出する空間側が私たち。

 

内側に現れるさざ波の音として聞いている側。

 

静かなる。

 

・・・

ワークブック

レッスン280

 

私が神の子に制限を課すことなどできるだろうか。

 

神により無限のものとして創造されたものは、自由である。

私が神の子に幽閉状態を作り出せても、それはただ幻想の中だけのことであり、真理においてではない。

神の想念は神の心から離れたことはない。

神の想念にはまったく制限がない。

神の想念はすべて永遠に清らかである。

神ご自身が神の子を無限とし、自由においても愛においても神ご自身と同じものとなることを意志しているというのに、私が神の子に制限を課すことなどできるだろうか。

 

今日、私があなたの子を讃えることができますように。

あなたの子を讃えることによってのみ、私はあなたへの道を見出すからです。

父よ、あなたに愛され、あなたに無限のものとして創造されたあなたの子に、私はどんな制限を課すこともしません。

私が彼に差し出す誠意はあなたのものであり、あなたのものは私のものでもあります。

・・・・・

 

奇跡のコース テキスト編 第5章 Ⅶ 5:1-5  6:1-11

 

あなたが完全に喜びに溢れていないときはいつでも、その理由は神の被造物たちのひとりに対して、愛が欠如した反応をしたからである。

これを「罪」と知覚するあなたは、攻撃されることを予期して防衛的になる。

このように反応するという決断はあなたが下したものであり、したがって、それは取り消し可能である。

それは普通の意味の悔い改めによって取り消すことはできない。

なぜなら、それは罪悪感を暗示しているからである。

罪悪感を感じることを自分に容認するなら、あなたは誤りを取り消してもらう代わりに、それを強化することになる。

 

決断は難しいものではあり得ない。

もしあなたが、自分が完全に喜びに満ちていないときはすでに、自分は喜ばないと決断したに違いないと気づくなら、決断が難しくないということは明白である。

したがって、取り消しのための最初の一歩は、自分は積極的に誤った決断をしたが、同じく積極的に別の決断ができると認識することである。

このことに関しては、自分自身に対して断固とした態度で臨みなさい。

そして、取り消しのプロセスを充分に自覚し続けていなさい

それはあなたから生じるわけではないが、それでも、それは神があなたの中に置いたものであるから、今もそこにある。

あなたの役割は単に、誤りが犯された地点まで自分の思考を戻し、それを平安のうちに贖罪に引き渡すことだけである

あなたからのごくわずかな招きに対してでも、聖霊は充分に応えてくれるということを思い出しながら、できる限り誠実に、自分自身に次のように言いなさい。

 

私は心安らかではないので、誤って決断したに違いない。

 

私は自分でこの決断をしたが、別の決断をすることもできる。

 

私は心安らかでいたいので、別な決断をしたい。

 

私は罪悪感を感じない。

 

聖霊に任せれば、私の間違った決断の結果はすべて取り消してもらえるからである。

 

私は、聖霊に私に代わって神を選ぶ決断をしてもらい、私の間違った決断の結果を取り消してもらうことを選択する。

 

夢の終わり(レッスン279)

夢の終わりが約束されている。

 

夢から覚めたら、本当の生命が輝いている。

 

自分と思っていた個性を守ったり見張る必要もなくなる。

 

自分という個性を脅かそうと見えていた世界や世間や人のことも気にならなくなる。

 

構う必要はなくなり、それと入れ替わりに、ただそのどこまでも優しい光を愛でるだけになる。

 

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ワークブック

レッスン279

 

被造物の自由が、私の自由を約束する。

 

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神の子が神の愛に見捨てられることはないのだから、私には夢の終わりが約束されている。

夢の中にのみ、神の子が牢獄につながれたかに見える時間が存在し、その時間の中で、あるかないかもわからない未来の自由を待っている。

しかし実相の中においては彼の夢は消え去っており、そのかわりに真理が不動のものとなっている。

そして今、自由はすでに彼のものである。

神が私に自由を差し出しているというのに、解放するためにすでに断たれた鎖につながれて、私が待っている必要などあるだろうか。

 

私はあなたの約束を今日受け入れ、それを信頼します。

わが父は、ご自身のものとして創造されたわが子を愛しておられます。

すでに私にくださった贈り物を、どうしてあなたが与えずにおこうとなさるでしょう。

(1・2)

意味のなさがジャッジのなさ(レッスン278)

何かを責める気もちは、そこに意味をもたせているから。

善悪や損得、好き嫌いなど・・・。

 

意味をもたせていることですら、それが良いとか悪いわけではなくて、

ただ、意味をもたせている間は、苦しい、ということ。

意味にふりまわされているということ。

意味に束縛されているということ。

 

意味のなさがジャッジのなさ。

意味のなさが自由。

意味のなさが慈愛。

意味のなさが愛。

・・・

ワークブック

レッスン278

 

私が束縛されているなら、私の父も自由ではない。

 

・・・・・

 

もし私が、生命あると思える一切のものが死んでいくかに見える世界で、自分は一個の肉体に閉じこめられた囚人だということを受け入れるなら、私の父もともに囚人だということになる。

そしてまた、もし、世界が従っている法則に自分も従わねばならず、自分が知覚している脆弱さや罪は実在し免れられないものだと主張するなら、私はそれを信じていることになる。

私がどのようにであれ束縛されているなら、私は自分の父も真の自己も知らないのである。

そうして私は実在のすべてを見失っている。

なぜなら、真理は自由であり、束縛されているものは真理の一部ではないからである。

 

父よ、私は真理だけを求めます。

私は自分について、あるいは自分が創造したものについて、多くの愚かな考えを抱いてきました。

また、恐れの夢を自分の心に持ち込んできました。

今日、私は夢を見たくありません。

私は狂気や恐れのかわりに、あなたへの道を選択します。

真理は安全であり、愛だけが確かなものだからです。

(1・2)

リアルなテンション(レッスン277)

外があると自作し、外から防衛するために、偽りの自己を作り出していた。

 

いつまでたっても世界を白々しく感じていたのは、自分自身が白々しかったから。

 

いつまでもリアルな自己をゆるさずにいたから。

 

いつまでもどこまでも防衛だった。

 

自分で自分をいつまでも罰しているのだ。

 

危険な世界が終わらないという夢の中に閉じ込めていた。

 

分離を投影し続けているのだ。

 

わずかでも疲弊感があるのなら、それは作られているもの。

 

でも気づけばいい。

 

微細な違和感を露にしていく。

 

自作自演の「私」をそこらへんにただ置いておく。

 

邪見にする必要もなく、腫れ物として扱うでもなく、

 

何でもないものとしてそこに置く。

 

慈愛。

 

意欲だけでよくて。

 

リアルなテンションに戻る。

 

安らぎに包まれる。

 

・・・

ワークブック

レッスン277

 

自分で作り出した法則で、私があなたの子を束縛しませんように。

 

・・・・・

 

父よ、あなたの子は自由です。

肉体を支配するために私が作り出した法則で彼を束縛してきたなどと、私が思い描くことがありませんように。

彼は、私が肉体をより安全にしようとして作り出したどんな法則にも支配されません。

彼が可変のものにより変化することはありません。

彼はどのような時間の法則にも隷属しません。

愛の法則以外の法則を知らないのですから、彼はあなたに創造されたままの存在です。

 

偶像を崇拝しないようにしよう。

そして、偶像崇拝が神の子の自由を隠すために作り出そうとする法則を、信じないようにしよう。

神の子は自分の信念以外の何によっても束縛されない。

しかし彼の本性は、彼が隷属を信じるか自由を信じるかといったことを、はるかに超えている。

彼は父の子であるからこそ自由である。

神の真理が嘘をつき、神がご自身を欺こうと意志するのでない限り、彼が束縛されるということはありえない。

(1・2)

リアルなテンション(レッスン277)

外があると自作し、外からの防衛のために、偽りの自己を作り出していた。

 

いつまでたっても世界を白々しく感じていたのは、自分自身が白々しかったから。

 

いつまでのリアルな自己をゆるさずにいたから。

 

いつまでたっても防衛的な一挙手一投足だった。

 

自分で自分をいつまでも罰しているのだ。

 

分離を投影し続けているのだ。

 

わずかでも疲弊感があるのなら、それは作られているものだ。

 

でも気づけばいい。

 

意欲だけでよくて。

 

リアルなテンションに戻る。

 

安らぎに包まれる。

 

・・・

ワークブック

レッスン277

 

自分で作り出した法則で、私があなたの子を束縛しませんように。

 

・・・・・

 

父よ、あなたの子は自由です。

肉体を支配するために私が作り出した法則で彼を束縛してきたなどと、私が思い描くことがありませんように。

彼は、私が肉体をより安全にしようとして作り出したどんな法則にも支配されません。

彼が可変のものにより変化することはありません。

彼はどのような時間の法則にも隷属しません。

愛の法則以外の法則を知らないのですから、彼はあなたに創造されたままの存在です。

 

偶像を崇拝しないようにしよう。

そして、偶像崇拝が神の子の自由を隠すために作り出そうとする法則を、信じないようにしよう。

神の子は自分の信念以外の何によっても束縛されない。

しかし彼の本性は、彼が隷属を信じるか自由を信じるかといったことを、はるかに超えている。

彼は父の子であるからこそ自由である。

神の真理が嘘をつき、神がご自身を欺こうと意志するのでない限り、彼が束縛されるということはありえない。

(1・2)