ガーン。
今の今まで、「全体性」を受け入れていませんでした。
全ての動機が「愛」だけになるのを待っていましたが、そのための意欲はいまいちでした。
自我の言い張りが忙しくて、後回しにしてました。
「全体性」だけが目的だったし、それ以外は苦しみとざわつきの種でしかないのに、自我は消えたくなくて、少しぐらいは足跡残したいってこの期に及んで、言い張ってました。
もうこの不安定さに居ることはやめます。
この肚落ちした感覚。
このしっくりとした感覚。
ここだけにいます。
全体にいます。
・・・
ワークブック
レッスン319
私は世界の救済のために来た。
・・・・・
これは、あらゆる傲慢さが取り去られ、真理だけを残している考えである。
傲慢さは真理に対立するからである。
傲慢さがないとき、真理は即座にやってきて、自我が嘘で満たさずにおいた空間を埋める。
限定されうるのは自我のみであり、だから自我は、半端で限界のある目標を追求せざるをえない。
自我は、ひとりが得るものは、必ず全体から失われると考えている。
しかし、ひとりが得るものはすべての人に与えられるということを私が学ぶことが、神の意志である。
(1:1-6)
父よ、あなたの意志は全的なものです。
そして、そこから生じるゴールはその全体性を共有します。
世界の救済以外の目標を、あなたが私に授けることがありえるでしょうか。
これ以外の何が、私の真の自己があなたと共有する意志でありえたでしょうか。
(2:1-4)
・・・・・