怒りは、私が「個人」なんだ!という誤解の解釈から生じる。
自分たちは、愛という「全体」だった、と思い出すと、怒りは速やかに去っていく。
「個人」という限定的な信念があっただけ。
「個人」を守るためにいろんな感情が生じるけど、ただそれだけのこと。
それに良し悪しや意味や価値はない。
「個人」を躍起になって消すなんてしなくていい。
ただその表れを静かに眺め、愛(め)でて、「全体」の中に自然に消えていくのを見守ろう。
私たちは「全体」という愛なのだから、怒りようがなかった。
「全体」という愛の壮大さは祝福されるだけ。
完璧な平安の目覚め。
卑小さを愛で癒し、ゆっくりと受け入れる。
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ワークブック
レッスン347
怒りは必ず裁きから生じる。裁きは、奇跡を自分から遠ざけておくために、私が自分自身に突きつける武器である。
父よ、私は自分の意志に反するものは欲し、自分の意志が望むものは欲しません。
私の心を正してください。
心が病んでいます。
しかしあなたは自由をくださいました。
今日、あなたの贈り物を自分のものと宣言します。
私のために正しく審判する存在として与えられた聖霊に、すべての判断をゆだねます。
聖霊は私が見ているものを見ますが、真理も知っています。
苦痛を眺めますが、それは実在しないと理解し、その理解の中で苦痛は癒されます。
聖霊は、夢が私に自覚させまいとする奇跡を与えてくれます。
今日、聖霊が審判してくれますように。
私は自分の意志を知りませんが、聖霊は、それはあなたの意志と同じだと、確信しています。
聖霊は私のために語り、あなたの奇跡を私のもとに呼び寄せます。
今日は耳を傾けよう。
じっと静まり、神はあなたを愛するわが子であると審判したと、優しい神の声が安心させてくれるのを聞こう。
(全文)