【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

最善なことをすべて知っている聖霊とともに(レッスン242)

確かなのは、内側にあるこの「静けさ」だけ。

 

この聖霊と共に。

 

無色透明なので、

 

すべてがハッキリと見えている。

 

何も求める必要はない。

 

すべてが満たされている。

 

ただ受け取るだけ。

 

ただ開いていて、

 

それが循環しているさまを邪魔しないでいたい。

 

光を直視し、

 

祝福する。

 

この役目を甘受する。

 

 

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ワークブック

レッスン242

 

今日一日は神のものである。私はこの日を神の贈り物とする。

 

・・・・・

 

今日、私はひとりで生きようとはしない。

私は世界を理解していないのだから、自分ひとりで生きようとすることは愚かである。

しかし、私にとって最善なることのすべてを知っている聖霊がいる。

そして聖霊は、私のために喜んで、神へと導く選択だけをしてくれる。

私は帰還の時を遅らせたくないので、この日を聖霊に捧げる。

聖霊こそが神への道を知っているからである。

(1:1~5)

 

ですから私たちは、今日という日をあなたに捧げます。

私たちは、心を完全に開いています。

自分がほしいと思うものは一切求めません。

あなたが私たちに受け取らせたいものを、お与えください。

あなたは私たちの願いと望みのすべてをご存じです。

ですから、私たちがあなたへの道を見出すのに必要なすべてを、与えてくださることでしょう。

(2:1~6)

開け放たれているドア(レッスン241)

「ゆるす」とか「ゆるさない」とか、

 

そんな深刻な出来事が毎時発生している。

 

こうして思考は罪による闇と恐怖でストーリーを紡ぎ続ける。

 

それは時に狂気。

 

時に甘美。

 

そうやって、

 

「空(くう)」を、「この世界」で塗りつぶし、

 

「空(くう)」を忘れている。

 

思考にかまけている間は、

 

「空(くう)」という本性に戻らずにいる。

 

「この世界のストーリー」は、どこまでも大きな穴を作っていく。

 

埋めても埋めても埋まらない大穴。

 

自分で穴を掘り、

 

自分で埋め、

 

また穴を掘る。

 

これを延々とし続けている。

 

だけど、

 

この不毛さに飽き飽きしてきたら、

 

もう埋める作業をやめて、

 

その穴をそこらへんに放っておこう。

 

「空(くう)」に戻ろう。

 

「静寂」が私たちなのだから。

 

一度、触れれば、

 

その確かさで正気に戻る。

 

大穴は消える。

 

正気さというクリアさは、

 

どこまでも果てしない濃厚な愛を思い出す。

 

ほんの一度、触れる。

 

ただそれだけで、

 

その確かさそのものへと誘われる。

 

 

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ワークブック

レッスン241

 

この聖なる瞬間に救済が訪れる。

 

今日は何と喜びにあふれた日だろう!

特別な祝賀の時である。

今日という日が、解放の準備が整った暗い世界に、その瞬間を差し出すからである。

悲しみが過ぎ去り、苦痛がなくなるその日がやってきた。

自由を得た世界の上に、今日、救済の栄光が輝き始める。

これは無数の民にとって希望の時である。

あなたがすべての人を赦す今、彼らはひとつに結ばれる。

私が今日、あなたに赦されるからである。

 

今、私たちは互いに赦し合ったので、ついて再びあなたのみもとに参ります。

父よ、あなたの子が、本当は一度も離れたことのない故郷である天国へと帰還します。

正気を取り戻し、私たち皆がひとつであることを思い出せるとは、何と嬉しいことでしょう。

(1・2)

・・・・

 

3.世界とは何か

 

私たちの変化した知覚を世界がともにするまでは、安心せずにいよう。

赦しが完全となるまでは、満足しないでいよう。

自分たちの機能を変えようとするのはやめよう。

私たちは世界を救わなければならない。

死にゆくものとして作り出されたものが永遠の生命を取り戻せるようになるためには、世界を作り出した私たち自身が、キリストのまなざしを通して世界を見なければならない。(5:1~4)

幽霊の正体見たり枯れ尾花(レッスン240)

”正気”とは、

 

すべてが「空(くう)」、「愛」だけがあると知っていることでした。

 

それ以外に思えたり、感じられるものは、全部、思考の捏造にすぎなかった。

 

分離していると誤解して見ているにすぎなかった。

 

分離していると見ない、という決断だけでした。

 

”今ここ”とは、

 

すべてが「空(くう)」、「愛」だけがあると知っていることでした。

 

時間と空間の夢から覚めていることでした。

 

それが、分離を見ない、という決断でした。

 

この決断だけがこの世界で求められていました。

 

たったこれだけでした。

 

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ワークブック

レッスン240

 

怖れはいかなる形においても正当化されない。

 

・・・・・

 

怖れは欺瞞である。

それが証言していることは、あなたが、決してありえない姿の自分自身を見たということと、それにより、あなたがありえない世界を見ているということである。

この世界の中にあるものは一つとして真実ではない。

それがどのような形で現れているかは問題ではない。

それは、自分自身についてあなたが抱いている幻想を証ししているにすぎない。

今日は、欺かれないようにしよう。

私たちは神の子である。

私たち一人ひとりが愛そのものの一部なのだから、私たちの中に恐れはない。

(1:1-8)

 

私たちの恐れは何と愚かなものでしょう!

あなたが、わが子が苦しむことを容認されるでしょうか。

今日、私たちに、神の子を認識して解放するための信頼を与えてください。

私たちが御名において彼を赦せますように。

それによって、彼の聖性を理解することができ、神の子へのあなたの愛と同じ愛を、私たちも感じることができますように。

(2:1~4)

 

静けさのシャワーを浴びる 目的も結果も消え去る(レッスン239)

日々、がある。

 

それを祝福する。

 

それだけがある。

 

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ワークブック

レッスン239

 

私の父の栄光は、私の栄光である。

 

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今日は、偽りの謙遜によって私たちについての真理が隠れてしまわないようにしよう。

それよりも、父が与えてくれた贈り物に感謝しよう。

神がご自身の栄光を分かち合う人々の中に、わずかでも罪や罪悪感をみることなどできるだろうか。

神が、わが子は創造されたときのままであると知っており、わが子をまったく変りなく、永久に愛しているのなら、私たちがそこに含まれないということがあるだろうか。

(1:1-4)

不動の信頼(レッスン238)

がっちりとゆるがない。

 

すべての人が神の創造されたままなので、同じ。

 

恐れる必要はない。

 

静寂の中に居よう。

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ワークブック

レッスン238

 

救済のすべてが、私の決断にかかっている。

 

父よ、あなたがかくも厚き信頼を寄せてくださる私は、価値がある者に違いありません。

あなたは私を創造され、あるがままの私をご存知です。

それでもあなたは、神の子の救済を私の手にゆだね、私の決断に一任されました。

私はまさにあなたから愛されているに違いありません。

そして私の聖性も確固たるものであるはずです。

あなたはご自身の子を私に託し、今でもあなたの一部でありながら、私の自己として私にも属しているその子は安全である、と確信しておられるのですから。

 

だから今日も再び、私たちは少し動きを止めて、父がどれほど私たちを愛しているのかを考えてみよう。

また、神の愛によって創造された神の子は、神にとってどれほど愛おしい存在であり続けるかということや、神の愛は神の子の中で完全になるということについて、考えてみよう。

(1・2)

(レッスン237)

「思い込みの人生」を手放すとなんて気軽で身軽なんだろう。

 

慈愛の安心感につつまれた解放感。

 

一日中、内なる光が輝いている。

 

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ワークブック

レッスン237

 

私は今、神が創造したままの私でありたい。

 

今日、私は、自分についての真理を受け入れる。

栄光のうちに起床し、一日中、私の内なる光が世界の上に輝くにまかせよう。

父なる神が私に語る救済の知らせを、世界に伝えよう。

そして、キリストが私に見せようとする世界を見て、それが苦渋に満ちた死の夢を終わらせると知り、それが私への父の呼びかけであると自覚する。

 

(1)

 

・・・・・

 

 

(レッスン236)

泣いたり笑ったり怒ったり傷ついたり怖がったり、と

 

感情が湧き、

 

思考が止まらないのは、

 

自分という固有の存在を信じていて、

 

その固有さがゆさぶられる時。

 

その固有さが脅かされる時。

 

そして、

 

固有さが”自分”だと勘違いしていたので、

 

固有さから出る感情も自分だと思い込んでいた。

 

真実は、

 

固有さという自分などどこにもないということ。

 

固有さに固執していただけ。

 

真のアイデンティティは、「全体」。

 

「全体」ゆえに、一度も離れていない。

 

これまでは、

 

分離を妄想し「固有」を作り出した自分を、ゆるしたくないという思いに駆られたけど、

 

この思いも、分離という固有さをキープしたいがためだ。

 

思考は思考を正当化したいもんね。

 

それでも、少しずつ、

 

あんなに固執して忘れられなかった、

 

数々のネガティブな思いに対して、

 

どうしてあんなにまで、執着していたのか?

 

首をかしげるほど、どうでもよくなっている。

 

笑えてくる。

 

こうやって、

 

少しずつ、

 

分離の夢から目覚めるのだなって。

 

焦らないで、解放が起こるに任せよう。

 

「思考」はどちらにせよ取るに足らない。

 

「感情」も同じ。

 

そして、その根源は「空(くう)」だから、

 

それは消えてゆく。

 

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ワークブック

レッスン236

 

私は、自分だけが統治できる自分の心を統治する。

 

・・・・・

 

私には統治すべき王国がある。

時には、私は少しもその国の王であるようには思えない。

むしろ王国のほうが私の上に君臨し、何を思い、何を為し、何を感じるべきかを私に告げているように思える。

しかしそれは、その中に私が知覚するどの目的にでも仕えるものとして、私に与えられている。

私の心はただその目的に仕えるだけである。

今日、私は心の働きを聖霊に差し出し、聖霊がふさわしいと思うものに使ってもらう。

そのようにして、私は、自分だけが統治できる自分の心に指令を与える。

そのようにして、自分の心を自由にし、神の意志を行えるようにする。

(1:1-8)