レッスン93 5:1~9・7:5
あなたが作り出した自己は神の子ではない。だから、その自己は、まったく存在していない。
そしてその自己が行ったり考えたりしているように見えることは、すべて何の意味もない。
それは善でも、悪でもない。
実在していないという、ただそれだけのことである。
それは神の子と戦うことはない。
神の子を傷つけることも、その平安を攻撃することもない。
それは被造物を変化させてはいないし、永遠の無罪性を罪と化したり、愛を憎悪に貶めたりはしなかった。
あなたの作り出した自己は神の意志に逆らおうとしているというのに、それが一体どんな力をもちえるだろうか。
救済に必要なのは、ただ一つの考えを受け入れることだけである。
すなわち、あなたは神が創造したままのものであり、自分で作り出したものではないという考えである。
あなたがどんな悪を為したと思っていても、あなたは神が創造したままのあなたである。
あなたがどんな間違いを犯したとしても、あなたについての真理は変わっていない。
被造物は永遠であり、変わることはない。
あなたの無罪性は神により保証されている。
レッスン94 1:2~5
あなたは神が創造したままのあなたである。
世界の音という音は静まり、世界の光景はかき消され、これまでに世界が抱いたことがあるすべての考えが、この概念一つで永久にぬぐい去られる。
ここで救済が達成される。
ここで正気が回復される。
・・・・・
ほんのわずかな”罪意識”であっても、それを持っている、それがあると考えている間は「闇」を抱えていることになり、自分は自我だと思っていることになる。
そして、自我の見方をし、考え、思ってしまったとしても、その度毎に、取り消しを実践することだけが唯一私たちのできること。
今の私の場合・・・
身体の痛みを「闇」から見れば、罪悪の結果だと受け取り、隠してしまいたくなるし、責めることになる。
だけど「聖霊」から見れば、神の子として見直されていくためのものになっていく。
身体に対しさまざまな具体的な対処をしながらも、「心」からは、ただ労わりと癒しを与えてあげたいと思う。
身体に「罪」を投影させていただけなので、その誤解を取り下げてあげたい。
幻想を幻想だと見抜く機会として、受け入れたい。
また、過去の人間関係のトラブルを闇から見れば、私は被害者だったり、加害者だったりする。
だけど「聖霊」から見れば、神の子として見直されていくだけの「ゆるし」のきっかけとなる。
あの時の私とあの人は、深い深い罪悪の夢の中で加害者と被害者という配役を演じていただけで、どっちもどっちの配役を交互にやっていただけなのだ。
そして、自我という「欠如」に基づく信念だったから、本来の関係が築けなかっただけ。
本来の関係は、”愛の只中にいる”ということ。
建て前上の関係性を超えて、お互いリラックスしている、ということ。
今、「心」はここに置こう。
・・・・・
復習
レッスン112
(93)光と喜びと平安が私の中に宿っている。
(94)私は神が創造したままの私である。