キリストは、あなたを神とひとつに保つ絆である、分離というものは絶望のように見える幻想にすぎないと保証する絆である。
(6.キリストとは何か 1:1)
キリストの心眼って何?
随分と考察を重ねた・・・。
そして、結局、考察をやめることだった。
「わからなさ」に安住することだった。
この単純さにて、何事にも「違い」を見なくなる。
何を見ても、
どんなことが起こっても、
どんな違いがあっても、
そこには何の意味も力も価値もないと思い出されていく。
最初は、このことを「この世界」からの逃亡でしかなくて、
私は弱虫で負け犬なんだと思っていたけど、
だけど、逆だった。
「この世界」に取り合わない勇気がなかっただけだった。
現に、「心眼」が使われていくと、世界が変わる。
ただひとつの光だけがある。
根拠など必要のない麗しさがある。
思考も感情も治まっていく。
防衛に余念のなかった荒ぶっていた感覚が消えて、優しさと祝福が湧き起こる。
・・・
ワークブック
レッスン271
今日、私はキリストの心眼(ビジョン)を使う。
私は毎日、毎時、刻一刻、自分が見たいものや聞きたい音を選び、自分にとって真理であって欲しいものの証拠を選択している。
今日、私は、キリストが私に見せようとするものを見て、神の声を聞き、神の創造における真理を証しするものを求める、という選択をする。
キリストの視覚において、世界と神の被造物が出会い、それらがひとつに交わるとき、すべての知覚が消滅する。
キリストの優しい視覚は、世界から死を贖う。
キリストがまなざしを向けるものはすべて、ひとつに結ばれた創造主と被造物、父と子を思い出して、ただ生きるのみである。
父よ、キリストの心眼はあなたへの道です。
キリストの見るものは、あなたについての記憶を呼び寄せ、私に戻します。
私は今日、キリストが見るものを、自分がみたいものとして選びます。
(1・2)
・・・・・
世の中を怖いところだと思い込み、
たくさんの防衛をしてきた。
あの人は冷たい
あの人はすごい
あの人は素敵
あの人よりはマシ
あの人よりは大丈夫
あの人が悪い
あの事件はひどい
あの出来事は素晴らしい
あの国はダメ
あの事はゆるせることではない
あれは高価
あれはチープ
とにかく、
この世界の意味付けに余念がなかった。
なんとも疲れる日々でした。
忙しく思考し感情が波立ち、
なぐさみと、偽りのリラックスで誤魔化していました。
自我ちゃん、ご苦労様でした。
もういいとよ。
休らいます。