何一つ、この世界のもので私を傷つけるものはなかった。
形が壊れることに恐れが残っているけど、その反応を裁くことなく、一つひとつ、全体の中で休らわせよう。
そして、そのあとのくつろぎをもって祝福としよう。
私は私を裁かない。
私を全体まかせてしまおう。
言葉の意味を忘れ、その音の響きだけが広がる。
行為の意味を忘れ、その動作の美しさだけが染み入る。
物の価値を忘れ、その存在の出どころである光を讃えよう。
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ワークブック
レッスン330
今日、私は自分自身を再び傷つけない。
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今日、赦しを自分の唯一の機能として受け入れよう。
どうして自分の心を攻撃し、心に苦痛の心象を与える必要があるだろう。
神がご自身の力と愛を差し出し、私たちの心にすでに属しているものを受け取るようにと勧めているのに、どうして自分の心に、心は無力だと教える必要があるだろう。
神の贈り物を進んで受け入れる気持ちになった心は霊に戻されたのであり、その意志は神の意志と合一し、自由と喜びを延長させる。
神が創造した自己は罪を犯すことも苦しむこともありえない。
今日、その自己を私たちのアイデンティティーとすることを選択し、恐れの夢がもたらすかに思える一切のものごとから、永遠に脱出しょう。
父よ、あなたの子は傷つきません。
もし自分が苦しむと考えるなら、私たちはあなたと共有する一なるアイデンティティーを知ることができません。
私たちは今日、その一なるものへと戻り、自分のすべての誇りから永遠に解放され、自分で自分だと思いこんできたものから救われたいと願います。
(全文)
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本当にそうだと感じる。
この世界のルールに本質の「心」を当てはめなくていい。
この世で起こる大半に反応しない自分を、
わざわざ責め立てようとしていたし、
反応した自分をムキになって諫めようとしていたけど、
ただただそんな感覚を認めてあげればいいのだ。
そもそもそれは本質ではなく、
あるように見えているけど、
ないものなのだから。
そうして唯一の創造のみ、
延長し続けている至福の中にいることを自覚し続けよう。