無条件でした。
喜びに条件はないです。
喜びを抑えることにエネルギーを使って疲弊していました。
なんてことでしょう。
自然に逆らうのはやめます。
喜びは感謝と祝福の証です。
・・・
Ⅴ. 喜び
喜びは、柔和さから必然的にもたらされるものである。
柔和さは、恐れはもはや不可能だということを意味する。
いったい何が、喜びを妨げにくることなどできるだろう。
柔和さが差し出す開かれた両手は、常に満たされている。
柔和な者たちに苦痛はない。
彼らが苦しむことはあり得ない。
どうして彼らが喜ばずにいられるだろう。
彼らは愛されており、安全ではないはずがないと確信している。
攻撃に苦しみが伴うのと同じく確実に、柔和さには喜びが伴う。
神の教師たちは神を信頼している。
そして自分たちの前を神の教師が進み、いかなる危害も訪れないようにしてくれると確信している。
神の教師たちは神からの贈り物を携えて、神の道を進む。
なぜなら、神の声がすべてにおいて彼らを導くからである。
喜びは彼らの感謝の歌である。
そしてキリストも同じように感謝しつつ彼らを見守っている。
彼らがキリストを大いに必要としているのと同じように、キリストも彼らを大いに必要としている。
救済の目的を共有するとは、何と喜ばしいことだろう!